謹賀新年。どんな苦も 生存の基礎 これにより 現れるから 基礎をつくるな<728前の散文と728>

○少年少女のためのスッタニパータ<728前の散文と728>
・・・
いろいろな苦しみは
願い求めるからです。
願い求めなければ
苦しみはありません。


第3 大きな章 12.二種の観察経 5前の散文と5.

○中村元先生訳
 「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか? 『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁って起るのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。このように二種[の観察法]を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待される。──すなわち現世における<さとり>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」──

 師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

728
世間には種々なる苦しみがあるが、
それらは生存の素因にもとづいて生起する。
実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、
くり返し苦しみを受ける。
それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、
再生の素因をつくるな。


○正田大観先生訳
 (2)「『他の教相によってもまた、正しく、二なることの随観が存在するであろうか』と、比丘たちよ、もし、かくのごとく、問い尋ねる者たちが存するなら、『〔他の教相によってもまた、正しく、二なることの随観は〕存在するであろう』と説かれるべき者たちとして、〔彼らは〕存するべきです。では、どのように、〔他の教相によってもまた、正しく、二なることの随観は〕存在するのでしょうか。『それが何であれ、苦しみが発生するなら、一切は、〔心の〕依り所(依存の対象)という縁から〔発生する〕』ということで、これが、一つの随観となります。『まさしく、しかるに、諸々の〔心の〕依り所の残りなき離貪と止滅あることから、苦しみの発生は存在しない』ということで、これが、第二の随観となります。

〔比丘たちよ、〕このように、正しく……略……。しかして、他にも、〔世の〕教師たる方は、こう言いました。


734.(728)
 「それらが何であれ、世における、無数なる形態あるものとしての、諸々の苦しみは、
〔心の〕依り所(依存の対象)という因縁から発生する。
彼が、まさに、〔あるがままに〕知ることなく、〔心の〕依り所を作るなら、
〔彼は〕愚か者であり、繰り返し、苦しみへと近づき行く。
それゆえに、〔あるがままに〕覚知している者となり、
苦しみの出生の起源を随観する者となり、〔心の〕依り所を作らないように」と。(5)


○パーリ語原文

728前の散文は省略します。

733.(728)
ウパディニダーナー      パバワンティ   ドゥッカー
‘‘Upadhi・nidānā        pabhavanti     dukkhā,
生存の基礎・因縁として   発生する      苦は

イェー    ケーチ    ローカスミマネーカルーパー
ye       keci      lokasmim・aneka・rūpā;
それらは  何でも    世間において・種々の・形態が(ある)

ヨー    ウェー    アウィドゥワー    ウパディン   カローティ
Yo     ve       avidvā         upadhiṃ     karoti,
者が   実に     無知な        生存の基礎を 作る

プナップナン    ドゥッカムペーティ    マンドー
punappunaṃ    dukkhamupeti       mando;
繰り返し      苦を受ける        愚か者が

タスマー   パジャーナン    ウパディン    ナ     カイラー
Tasmā     pajānaṃ       upadhiṃ      na      kayirā,
それ故に   知って       生存の基礎を  ならない  作っては

ドゥカッサ    ジャーティッパバワーヌパスィーティ
dukkhassa    jātippabhavānupassī’’ti.
苦の      生じる起源を観察して・と


○一口メモ
皆さま、あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

前回は「苦と苦の生起の観察」と「苦の消滅と苦の消滅に至る道の観察」という二種の観察を正しく、怠らず、つとめ励んで、専心すれば、慧解脱か心解脱が出来て、輪廻を終滅できると述べられた。

今回はその他の二種の観察があることが述べられます。それは中村先生訳では「生存の素因」についてであります。パーリ語の訳には「生存の基礎」としました。生存の素因(生存の基礎)に基づいて苦があるということです。

ですから第一の観察は生存の素因(生存の基礎)によって苦が生起すること観察することです。第二の観察は生存の素因(生存の基礎)がない時、苦がないことを観察することです。この二種の観察を正しく、怠らず、つとめ励んで、専心すれば、慧解脱か心解脱が出来て、輪廻を終滅できるということです。

ここで、生存の素因(生存の基礎)とは何か具体的に考えなければなりません。四聖諦の教えから言えば、それは渇愛ですから、ここでは渇愛として考えましょう。無明という考え方もありますが、無明には次の項目で具体的に述べられていますから、それについては次回考えましょう。

渇愛とは、喉の渇いた人が水を求めるように、欲望の対象を求める気持ちです。第一の観察はこの渇愛がある時、苦が生起することです。第二の観察はこの渇愛がない時、苦がないことを観察するのです。このことを知って、生存の素因(渇愛)を作らないようにと述べられています。


どんな苦も 生存の基礎 これにより 現れるから 基礎をつくるな<728>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月29日(月)から1月4日(日)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2015年01月01日 07:47
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

渇愛が生じてしまったら
これもまたチャンス。
良い観察練習の材料。

本年も皆様が、生きとし生けるものが
幸せでありますように。
りんご
2015年01月01日 08:52
苦や渇愛など、観察する対象は
様々だけど、観察することは
共通しているなと感じました。

観察・観察。
具体的に観察してみようと
思います。
カエルくん
2015年01月01日 09:25
先生、皆様。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

観察して気付くことに、今年も精進していきます。
MK
2015年01月01日 14:45
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

心の拠り所・依存の対象が苦しみを生むという訳は分かりやすいです。
今年は苦しみが生まれても、下手くそに考えず、上手に考えることが出来るよう、気づき、精進していきたいです。

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年09月20日 06:22
願いを持つと、それが叶うと嬉しいですし・叶わないとストレスになると感じます。願いがなければそのどちらも生じません。もっとお金が欲しいとか良い暮らしがしたいとか俗世間的な願いは、苦しか生じない様に思います。その苦が生まれる原因が出た時・消えた時の観察をして、把握出来る様にしたいです。
満月
2016年10月24日 05:07
観察して渇愛をもたないよう、これ以上増やさないように気をつけようと思いますが、既にある渇愛の対象について「失いたくない」思いがあり、それによって行動を決めなければならない時、難しいです。