他の人と 智慧や道徳の 優劣を 偏見持って 比べるなかれ<799>
○少年少女のためのスッタニパータ<799>
・・・
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
(金子みすず)
第3 八つの詩句の章 4.最上八詩句経 4.
○毎田周一先生訳
799.
智慧についても徳行についても
世の人と自分を比べて一面的な考えをもってはならぬ
即ち自己を「等しい」ものだとみたり
また「劣った」ものとか「勝れた」ものとか考えたりしてはならぬ
○中村元先生訳
799
智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、
世間において偏見をかまえてはならない。
自分を他人と「等しい」と示すことなく、
他人より「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。
○正田大観先生訳
806.(799)
あるいは、知恵によって、あるいは、また、戒や掟によっても、
世において、〔いかなる〕見解でさえも想い描かないように。
自己を〔他者と〕「等しい」と見なさないように。
あるいは、また、「劣る」「勝る」〔と〕思いなさないように。(4)
○パーリ語原文
805.(799)
ディッティンピ ローカスミン ナ カッパイェッヤ
Diṭṭhimpi lokasmiṃ na kappayeyya,
見解をも 世間において ない 持た(ない)ように
ニャーネーナ ワー スィーラワテーナ ワーピ
ñāṇena vā sīlavatena vāpi;
知恵によって も 戒と行によって もまた
サモーティ アッターナマヌーパネッヤ
Samoti attānamanūpaneyya,
等しいと 自己を見なさないで
ヒーノー ナ マンニェータ ウィセースィ ワーピ
hīno na maññetha visesi vāpi.
劣っていると ない 思う(な) 勝れていると 或はまた
○一口メモ
いかなる生命も対等・平等なのです。それが生命の尊厳です。それを本当に分かることが解脱というのかもしれません。ですから、それを証明するのは難しいのです。しかし、仏教の教えはすべて、この「すべての生命は対等・平等である。」ということを前提にしているのです。
例えば、五戒の第一「生き物を殺さないという戒めを、私は受けて守ります。」はすべての生命に対して述べられています。これはすべての生命は対等・平等だからです。また、「生きとし生けるものは幸せであれ」という教えもこの事が前提だからです。
このことが理解できれば、今回の偈もよく理解できると思います。智慧があるとか道徳を守っているとかという理由で、生命をランクづけられないと言うことです。ですから、自分と他人を比較して、「等しい」とか、「劣っている」とか「勝っている」とか言うことは仏教の教えに反しているのです。
そのような訳で、自分が他人より勝っていると勝手に考えて高慢になることも、他人により劣っていると考えて卑下することも、他人と同等だと考えて安心すると言う態度も、仏教では戒められているのです。他人と比較する人々は、他人もいろいろな人々がいますから、比較する相手によって、高慢になったり、卑下したり、心が揺れ動きいつも不安な状態にあり、苦しみが付いて回るのです。
最後に生命の平等を歌った金子みすずさんの詩を引用します。(鈴は生命ではありませんが。)
わたしと小鳥と鈴と
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
他の人と 智慧や道徳の 優劣を 偏見持って 比べるなかれ<799>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
(金子みすず)
第3 八つの詩句の章 4.最上八詩句経 4.
○毎田周一先生訳
799.
智慧についても徳行についても
世の人と自分を比べて一面的な考えをもってはならぬ
即ち自己を「等しい」ものだとみたり
また「劣った」ものとか「勝れた」ものとか考えたりしてはならぬ
○中村元先生訳
799
智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、
世間において偏見をかまえてはならない。
自分を他人と「等しい」と示すことなく、
他人より「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。
○正田大観先生訳
806.(799)
あるいは、知恵によって、あるいは、また、戒や掟によっても、
世において、〔いかなる〕見解でさえも想い描かないように。
自己を〔他者と〕「等しい」と見なさないように。
あるいは、また、「劣る」「勝る」〔と〕思いなさないように。(4)
○パーリ語原文
805.(799)
ディッティンピ ローカスミン ナ カッパイェッヤ
Diṭṭhimpi lokasmiṃ na kappayeyya,
見解をも 世間において ない 持た(ない)ように
ニャーネーナ ワー スィーラワテーナ ワーピ
ñāṇena vā sīlavatena vāpi;
知恵によって も 戒と行によって もまた
サモーティ アッターナマヌーパネッヤ
Samoti attānamanūpaneyya,
等しいと 自己を見なさないで
ヒーノー ナ マンニェータ ウィセースィ ワーピ
hīno na maññetha visesi vāpi.
劣っていると ない 思う(な) 勝れていると 或はまた
○一口メモ
いかなる生命も対等・平等なのです。それが生命の尊厳です。それを本当に分かることが解脱というのかもしれません。ですから、それを証明するのは難しいのです。しかし、仏教の教えはすべて、この「すべての生命は対等・平等である。」ということを前提にしているのです。
例えば、五戒の第一「生き物を殺さないという戒めを、私は受けて守ります。」はすべての生命に対して述べられています。これはすべての生命は対等・平等だからです。また、「生きとし生けるものは幸せであれ」という教えもこの事が前提だからです。
このことが理解できれば、今回の偈もよく理解できると思います。智慧があるとか道徳を守っているとかという理由で、生命をランクづけられないと言うことです。ですから、自分と他人を比較して、「等しい」とか、「劣っている」とか「勝っている」とか言うことは仏教の教えに反しているのです。
そのような訳で、自分が他人より勝っていると勝手に考えて高慢になることも、他人により劣っていると考えて卑下することも、他人と同等だと考えて安心すると言う態度も、仏教では戒められているのです。他人と比較する人々は、他人もいろいろな人々がいますから、比較する相手によって、高慢になったり、卑下したり、心が揺れ動きいつも不安な状態にあり、苦しみが付いて回るのです。
最後に生命の平等を歌った金子みすずさんの詩を引用します。(鈴は生命ではありませんが。)
わたしと小鳥と鈴と
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。
鈴と、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
他の人と 智慧や道徳の 優劣を 偏見持って 比べるなかれ<799>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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この記事へのコメント
自分には自分だけの世界がありますから、一体自分の何がわかるの?ということです。
それは裏を返せば、違いがあることを認めようとしないということです。
対等、平等と言っても、決して「同一」ではありません。
人それぞれの違いがあることを認める。
生命それぞれの違いがあることを認める。
生命はそれぞれの世界で生きてます。
解っているつもり、気分でいること
は、簡単にできる。
でも、実際は「自分の見方」に知らず知らずにこだわってしまいがちだと感じました。
「自分は凄い」とか「(相手は)まだまだだね」とか思ってしまう時があります。そしてそれに対して好きや嫌い・・とその後を膨らめてしまうように思います。
スマナサーラ長老・ワンギーサ長老らより慈しみの実践と捨(平等)で生きる事を学び、共生する大切さを感じました。
「比べてしまう」視点があると、それを起点にどんどん筋が外れた方向にいってしまうような経験があります。
他の人と優劣を比べない生き方、精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
https://noritsu.seesaa.net/article/201502article_19.html