論争が あるところには 勝負あり それ故論争 避けるべきなり<828>
○少年少女のためのスッタニパータ<828>
・・・
他人の評価でなく、
自分の志に従って
生きて生きたいものです。
第3 八つの詩句の章 8.パスーラ経 5.
○毎田周一先生訳
828.
こんないい争いが道を修める人達の間に起こると
彼等の中に勝つと負けるとかいうことがあることになる
こんなことをみてもひとは論争を離れねばならぬ
何故ならそこにはほめられたということの外に何の利益もないからである
○中村元先生訳
828
これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、
これらの人々には得意と失意とがある。
ひとはこれを見て論争をやめるべきである。
称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。
○正田大観先生訳
835.(828)
これらの論争が、沙門たちのあいだで生じたなら、
これらのうちには、興奮と失望が有ります。
また、このことを見て、論難の言説を離れるように。
なぜなら、賞賛を得ることより他に、義(利益)は存在しないからです。(5)
○パーリ語原文
834.(828)
エーテー ウィワーダー サマネース ジャーター
Ete vivādā samaṇesu jātā,
これらの 論争が 沙門の中に 生じる
エーテース ウッガーティ ニガーティ ホーティ
etesu ugghāti nighāti hoti;
これらの中に 得意が 失意が ある
エータンピ ディスワー ウィラメー カトッジャン
Etampi disvā virame kathojjaṃ,
これらを 見て 止めるがよい 論争を
ナ ハンニャダッタッティパサンサラーバー
na haññadatthatthipasaṃsalābhā.
ない 何故なら称賛以外の利益が(ない)
○一口メモ
今回の偈の論旨はこのブログ記事のタイトルで示した短歌「論争が あるところには 勝負あり それ故論争 避けるべきなり」ということです。論争は勝ち負けがあるからやめよということです。何故ならは、昨日の偈で示されたように、論争に負けると嘆き悲しむからであり、一方勝った方は喜ぶことになるのですが、喜ぶ理由は誉められるということです。勝った利益は誉められるだけで、外の利益は何もないと述べられています。
この偈を理解するためには、褒められることに価値を置かないということが必要なのです。多くの人は、他人の評価を気にして、褒められることを望んでいるのですから、このことを理解できないかもしれません。多くの人々は生まれた時からお母さんに褒められることを期待しながら、小学校に入れば先生に褒められることを望むなどしてきましたから、褒められることを期待しないことは難しいのです。
しかし、真理を求め修行する人は、他人の評価でなく、自分自身で真理を発見しなければなりませんから、他人の評価に依存する態度は修行の妨げになるのです。真理の発見は心の変革と結びついた事柄です。他人の評価ではなく、また何ものにも依存しない心の状態の時、そこに真理が現れるのです。その意味で論争の無意味さを本当に知った時、真理が理解できるのです。
ダンマパダ201番はこの偈の理解に参考になりますので参照して下さい。
201 勝ち負けを 超越すれば 現れる 真の幸せ 気楽に生きる
201 http://76263383.at.webry.info/201209/article_15.html
論争が あるところには 勝負あり それ故論争 避けるべきなり<828>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎3月20日(金)から3月24日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。
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他人の評価でなく、
自分の志に従って
生きて生きたいものです。
第3 八つの詩句の章 8.パスーラ経 5.
○毎田周一先生訳
828.
こんないい争いが道を修める人達の間に起こると
彼等の中に勝つと負けるとかいうことがあることになる
こんなことをみてもひとは論争を離れねばならぬ
何故ならそこにはほめられたということの外に何の利益もないからである
○中村元先生訳
828
これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、
これらの人々には得意と失意とがある。
ひとはこれを見て論争をやめるべきである。
称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。
○正田大観先生訳
835.(828)
これらの論争が、沙門たちのあいだで生じたなら、
これらのうちには、興奮と失望が有ります。
また、このことを見て、論難の言説を離れるように。
なぜなら、賞賛を得ることより他に、義(利益)は存在しないからです。(5)
○パーリ語原文
834.(828)
エーテー ウィワーダー サマネース ジャーター
Ete vivādā samaṇesu jātā,
これらの 論争が 沙門の中に 生じる
エーテース ウッガーティ ニガーティ ホーティ
etesu ugghāti nighāti hoti;
これらの中に 得意が 失意が ある
エータンピ ディスワー ウィラメー カトッジャン
Etampi disvā virame kathojjaṃ,
これらを 見て 止めるがよい 論争を
ナ ハンニャダッタッティパサンサラーバー
na haññadatthatthipasaṃsalābhā.
ない 何故なら称賛以外の利益が(ない)
○一口メモ
今回の偈の論旨はこのブログ記事のタイトルで示した短歌「論争が あるところには 勝負あり それ故論争 避けるべきなり」ということです。論争は勝ち負けがあるからやめよということです。何故ならは、昨日の偈で示されたように、論争に負けると嘆き悲しむからであり、一方勝った方は喜ぶことになるのですが、喜ぶ理由は誉められるということです。勝った利益は誉められるだけで、外の利益は何もないと述べられています。
この偈を理解するためには、褒められることに価値を置かないということが必要なのです。多くの人は、他人の評価を気にして、褒められることを望んでいるのですから、このことを理解できないかもしれません。多くの人々は生まれた時からお母さんに褒められることを期待しながら、小学校に入れば先生に褒められることを望むなどしてきましたから、褒められることを期待しないことは難しいのです。
しかし、真理を求め修行する人は、他人の評価でなく、自分自身で真理を発見しなければなりませんから、他人の評価に依存する態度は修行の妨げになるのです。真理の発見は心の変革と結びついた事柄です。他人の評価ではなく、また何ものにも依存しない心の状態の時、そこに真理が現れるのです。その意味で論争の無意味さを本当に知った時、真理が理解できるのです。
ダンマパダ201番はこの偈の理解に参考になりますので参照して下さい。
201 勝ち負けを 超越すれば 現れる 真の幸せ 気楽に生きる
201 http://76263383.at.webry.info/201209/article_15.html
論争が あるところには 勝負あり それ故論争 避けるべきなり<828>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎3月20日(金)から3月24日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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この記事へのコメント
だいぶ前、英語力をつけようと、連続講義に参加したことがあります。
その時講師の先生が「誰か日米関係についてディベートしてみないか?やる気、勇気のある者は挙手しなさい」と突然言ったのです。
参加者は30名ほどでしたが、誰も挙手しませんでした。
TIME誌が教材で、日米関係について論じる自信はあったのですが、私は「負けたらどうしよう」という恐怖感が先立ってしまいました。
古代ギリシャやインドの論争文化がディベートの原型だと思いますが、私の例のように「勝ち負け」に拘ると勉強になるチャンスをミスミス逃してしまいます。
自尊心がそうさせています。従って、自尊心を守るために「議論はしない」ということがあるのです。
勝ち負けに拘らない、人の評価を気にしない。「真理とは何ぞや?」という議論ならば賛成です。自分の「思い込みや間違え」に気づくチャンスだからです。
職場で、主導権争いで論争になったりします。論争自体は噛み合っている時もありますが・・
一緒にそれなりに和で仕事をしていきましょう・・とのノリになると良いなと願っています。
争わずに慈しみで生きたいと思います。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
https://noritsu.seesaa.net/article/201503article_20.html