ある人は これが清浄 と言うけど 他の人々は 一切無だと言う<876>

○少年少女のためのスッタニパータ<876>
・・・
あることを主張すれば
それに反対する人が
必ず現れる。


第3 八つの詩句の章 11.争いと論争の経 15.

○毎田周一先生訳
876.
「ある賢い人達は この世ではここ迄が
人としての最高の清らかさであるというが
それらのうちのある人達は その外に
一切が無に帰すると巧みに説いて そんなことを究極のこととして論ずる」


○中村元先生訳
876
「この世において或る賢者たちは、
『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。
さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、
(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。


○正田大観先生訳
883.(876)
〔世尊は答えた〕
「まさに、或る者たちは、また、これ(形態の非有)だけで、
精神の至高の清浄を説きます(常住論)――ここに、〔自らを〕賢者たちとして。
いっぽうで、彼らのなかの或る者たちは、〔生存の〕依り所という残りものがないもの(無余依)について、
〔別の誤った〕教義を説きます(断滅論)――〔自らについて〕『智者である』〔と〕説きながら。(15)


○パーリ語原文
882.(876)
エッターワタッガンピ     ワダンティ    ヘーケー
‘‘Ettāvataggampi       vadanti      heke,
これだけが最高であると  説きます     実にある人達は

ヤッカッサ    スッディン    イダ     パンディターセー
yakkhassa     suddhiṃ     idha      paṇḍitāse;
精神の      清浄を      この世の  賢者達は

テーサン    パネーケー     サマヤン     ワダンティ
Tesaṃ      paneke        samayaṃ     vadanti,
彼らの     他のある人達は  教義を      説きます

アヌパーディセーセー    クサラー    ワダーナー
anupādisese           kusalā      vadānā.
生存の要素がない者達を  巧者と     論ずる


○一口メモ
ブッダは、質問者の追加の質問に答えます。ある賢者達は、「形態の消滅」が人間の精神の最高の清浄であると主張します。しかし、別の賢者達は「一切が無に帰すること=(精神も肉体も)残りなく消滅すること=〔生存の〕依り所という残りものがないもの(無余依)」が最高の清浄だと説いていると述べます。


ある人は これが清浄 と言うけど 他の人々は 一切無だと言う<876>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

りんご
2015年05月07日 04:24
「最高の境地」に関しても、色々な意見・解釈が出てくるのですね。
2015年05月07日 04:29
意見を述べる時は「自分が感じたもの」に基づいて主張するので、必ず主観になります。

何故なら、各人の感覚は同一ではないからです。

従って、何かの主張や見解には必ず別の、あるいは相反する主張や見解が成り立ってしまい、それで論争になってしまうのだと思います。
身の丈修行者
2015年05月07日 07:41
おはようございます。
ワンギーサ長老本文・解説の「別の賢者達は「一切が無に帰すること・・(無余依)」が最高の清浄だと説いていると述べます」は解脱という意味になりますでしょうか。
解脱出来たら最高の幸と感じます。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
2015年05月07日 10:36
「困った時はダンマパダ」の〈294、295〉をあわせて読んで理解が深まりました。
kempsford
2015年05月07日 20:49
こんばんは。
昨日の875偈で理解が行き詰ってしまったので、862偈からもう一度読み直してみました。
するとおぼろげながら、全体の流れの輪郭が観えてきたような気がしました。「形態の滅」と「想い」との関係で、毎田先生が「仏法の真理の一句」とおっしゃたったことの意味も、改めて味わえたように思えます。昨日行き詰った「最上の清浄の境地」という点についても、自分なりにおさめるこ
とができました。
それにしても難解な教えです。
ご指導ありがとうございました。それと、熱海でのご指導、お疲れ様でした。
こころざし
2016年11月03日 07:25
ある主張をするとその反論のようなものが出てくるのは、主観による言葉のやりとりだからという解釈で宜しいでしょうか。真理や智慧の世界は、その言葉による主観の世界とは違う印象を感じています。話す方も・聞く方も、そのような部類でない、深い意味で捉える事が出来るように精進したいです。
こころざし
2016年11月03日 19:51
形態の消滅が持てたら、どんな状況でも心は色に染まらない印象を感じました。無余依の方は、では何か少しでもそれがあったら通用しないのか?との疑問を思います。後述は?ですが、前述の事が分る様に、修行をして参りたいです。