禁欲し 念を具えて 離渇愛 安らぐ比丘は 動揺しない<1041>

○少年少女のためのスッタニパータ<1041>
・・・
この世で満足している人は
もう何も欲しがりません。
そのような人は何も求めませんから、
心はゆり動きません。


第5 彼岸に到る道の章 3.ティッサ・メッテヤ経(ティッサ・メッテヤ学生の問い)2.

○中村元先生訳
1041
師(ブッダ)は答えた、
「メッテイヤよ。諸々の欲望に関して清らかな行いをまもり、
妄執を離れて、つねに気をつけて、
究め明らめて、安らいに帰した修行者、──
かれには動揺は存在しない。


○正田大観先生訳
1048.(1041) 
かくのごとく、世尊は〔答えた〕
「メッテイヤさん、諸々の欲望〔の対象〕について、梵行ある者(禁欲清浄行の実践者)――
渇愛を離れた、常に気づきある者――
〔法を〕究めて、涅槃に到達した比丘――
彼に、諸々の動揺〔の思い〕は存在しません。(2)


○パーリ語原文
1047.
カーメース     ブラフマチャリヤワー
‘‘Kāmesu      brahmacariyavā,
欲望において   梵行を実践して

メッテッヤーティ    バガワー
(metteyyāti       bhagavā)
メッテッヤと      世尊は(答えた)

ウィータンホー    サダー    サトー
Vītataṇho       sadā      sato;
渇愛を離れ      常に      気づいて

サンカーヤ     ニッブトー      ビック
Saṅkhāya      nibbuto        bhikkhu,
考慮して      安らぎに達した   比丘は

タッサ    ノー    サンティ    インジター
tassa     no      santi      iñjitā.
彼に     ない     存在し     動揺は


○一口メモ
ブッダは今回の1041番と明日の1042番の偈で、ティッサ・メッテヤ学生の質問に答えます。しかし、初めの質問「この世で満足している人は誰ですか?」には直せず答えず、今回の偈では二番目の「動揺することがないのは誰ですか?」という問いに答えています。

動揺するとは、心が揺れ動くことです。動物の生活を観察する、すべての動物は食事と生殖のために動いているようです。人間も本質的には同じです。「諸々の欲望に関して」という時は、食欲と性欲を考えればよいと思います。「清らかな行いをまもり」とは、生きるために必要な食事で済ませ、性欲は個人が生きるためには必要ありませんから、それを抑えるということです。そうすると心は、食欲と性欲で動揺することがありません。食欲と性欲があればそれらによって動揺します。

欲望をなくすことは困難ですが、前の「アジタ経(アジタ学生の問い)」の質問で「煩悩(欲望)の流れを止めるものはサティ(念、気づき、気をつけること)であることを学びました。ですから「常に気づきある者」(正田先生訳)は渇愛を離れることができ、欲望を初期のうちに止めることができるのです。更にそのような人は「〔法を〕究めて」、智慧が現れて、解脱し、涅槃に至るのです。そのような人は動揺することはなく、ブッダが直接は答えませんでしたが、この世で満足している人なのです。


禁欲し 念を具えて 離渇愛 安らぐ比丘は 動揺しない<1041>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎9月18日(金)から9月23日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年09月23日 04:28
おはようございます。
動揺しない存在になるための第一歩は、「諸々の欲望に関しては清らかな行いを守り」とされています。まずは、「戒律」の順守ですね。それと「清らかな『行い』」の「行い」とは身口意の全てに渡るので、当然「意」の行為も含まれます。即ち「不善なことを『考える』」ことも戒められています。私自身の生活を振り返ってみると、「意」については、ついつい「まあいいだろう」と思いがちです。「社会規範に違反」することと「ブッダの教えに違反」することを、いつのまにか一緒にしてしまっている自分がいます。改めなければなりません。
また「動揺すること」と「清らかな行い」について、「食事と生殖のために動いている」、「生きるために必要な食事で済ませ、性欲は個人が生きるためには必要ありません」、と具体的に解説して頂いたおかげで、今後実践にて取り組むべきことを明確に理解することができました。御指導ありがとうございました。
こころざし
2015年09月23日 07:25
おはようございます。
性欲が出た時や何か欲しいとの状態になった時、それに囚われ容易に挙動不審になりかねない自分がいます。特に綺麗な女性がいた時にそこで止まれたらいいですが、さらに何かと妄想を拡大させると、もう不審人物そのものだなと自分で自分を気持ち悪く感じる事があります。
出来る限り常に気づきを保ち渇愛を止め、智慧が持てるように努めて、そしてこの世で心安定して満足している人を目指したいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
エル
2015年09月27日 10:15
 日常の小さな心の動揺の原因を、食欲と性欲までつきつめることができませんでした。しかし、自分の習慣を振り返ると、課題に取り組む前におやつを食べようとしたりする等、結局飲食に時間を使って必要なことが疎かになっています。
 心が動揺しやすい人ほど、実は食事と性的な事柄への欲望が強いと理解してもよろしいのでしょうか?逆に食事を栄養素を摂取するように合理的にとれば、心は動揺しなくなるのでしょうか?
こころざし
2016年12月19日 06:17
私事ですが、性欲が出た時の自分を観察しますと、自分のDNAを繋げれる機会を得ようと動物的に性の対象を求める姿勢を感じます。それを抑えないと、単に性的魅力があるかどうかの視点でしか見れなくなる印象があり、怖さを思います。その結果もし実際に子供がもし出来た時には、社会的責任等で、現在妻子持ちの自分には困る状況になると思います。それでも性的対象を求める姿勢が強いと、それを求めて走り出しかねず、渇愛を強く感じる機会です。そのような動物的欲求に踊らされるのではなく、理性を持って心が成長出来る生き方が出来る様にしたいです。