彼たちが 生老超えて ないならば 誰が超えたか 教えて下さい<1081>

○少年少女のためのスッタニパータ<1081>
・・・
慈しみの心は方法によって
育てられるものではありません。
その人の心しだいなのです。


第5 彼岸に到る道の章 8.ナンダ経(ナンダ学生の問い)5.

○中村元先生訳
1081
ナンダさんがいった、
「およそこれらの<道の人>・バラモンたちは、
見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。
戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。
(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。
聖者さま。もしあなたが『かれらは未だ煩悩の激流を乗り越えていない』と言われるのでしたら、
では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り越えた人は誰なのですか? 親愛なる先生! 
あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」


○正田大観先生訳
1088.(1081) 
かくのごとく、尊者ナンダが〔尋ねた〕
「これらの沙門や婆羅門たちは、彼らが誰であれ、
見られたものや聞かれたものによってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。
戒や掟によってもまた、清浄〔の境地〕を説きます。
〔その他〕無数なる形態によって、清浄〔の境地〕を説きます。
牟尼よ、もし、彼らを、激流を超えざる者たちと〔あなたが〕説くなら、
それでは、しかして、誰が、天〔の神々〕と人間たちの世において、敬愛なる方よ、
生と老とを超えたのですか。世尊よ、
〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」〔と〕。(5)


○パーリ語原文
1087.
イェー    ケーチメー    サマナブラーフマナーセー  
‘‘Ye      kecime       samaṇabrāhmaṇāse,
これらの   誰でも       沙門・バラモン達は

イッチャーヤスマー   ナンドー
(iccāyasmā         nando)
と・尊者          ナンダは(言った)

ディッタッステーナーピ   ワダンティ    スッディン
Diṭṭhassutenāpi        vadanti       suddhiṃ;
見解や伝承によっても   言う        清浄に(なると)

スィーラッバテーナーピ    ワダンティ   スッディン
Sīlabbatenāpi          vadanti      suddhiṃ,
戒や掟によっても       言う       清浄に(なると

アネーカルーペーナ   ワダンティ    スッディン
anekarūpena        vadanti      suddhiṃ;
種々のものによって   言う       清浄に(なると)

テー    チェー   ムニ    ブルースィ     アノーガティンネー
Te      ce      muni     brūsi        anoghatiṇṇe,
彼らは   もし    聖者よ   言う(のならば)  激流を渡ってないと

アタ    コー    チャラヒ    デーワマヌッサローケー
atha     ko     carahi      devamanussaloke;
一体    誰が   それでは    神々と人間の世において

アターリ    ジャーティンチャ   ジャランチャ   マーリサ
Atāri       jātiñca         jarañca       mārisa,
渡ったか    生と          老いを       我が尊師よ

プッチャーミ    タン     バガワー    ブルーヒ    メー    タン
pucchāmi      taṃ      bhagavā     brūhi       me     taṃ’’.
お尋ねします   あなたに  世尊よ     説いて下さい  私に    それを


○一口メモ
今回の偈は「見解によって、また伝承の学問によっても、戒律や誓いを守ることによっても、他の種々のしかたで清浄になれないと言うのではならば、神々と人間の世界のうちで誰が生と老衰を乗り越えた人ですか?」というナンダの質問です。

同様な質問は、ティッサ・メッティヤ経にもプンナカ経にもありました。当時の修行者は、現代の修行者もそうですが、何等かの修行方法によって生と老衰を乗り超えることができると考えているのです。すなわち解脱できると思っているのです。ブッダの言葉を注意深く読めばそうではないことが解ります。その点は分かり難いところです。明日の偈を注意深く読んで下さい。

ダンマパダの271番、272番に次のような偈があります。参考にして下さい。
http://76263383.at.webry.info/201211/article_6.html
戒や禁戒によって
或はまた博識によって
或は時に禅定を得ることによって
或は離れて臥すことによっても、(安心は)ない(271)
凡夫の知らない
離欲の安楽に達する(ことでも)
比丘よ、煩悩の滅尽を得ていない者は
安心するなかれ(272)


彼たちが 生老超えて ないならば 誰が超えたか 教えて下さい<1081>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2015年11月01日 04:01
おはようございます。
ナンダさんが既に知っているやり方では、生と老衰を乗り超えたのではない、というのがブッダの御回答でした。「じゃあ、いったいどうすればよいのか?」と、ナンダさんは当然質問なさいます。ただ、「どうすれば?」という質問が、いつの間にか「誰なのか?」に変化しています。そこには早く答えを知りたいと願うナンダさんの、焦りのような気持ちがうかがえます。明日のブッダの御回答が待たれます。明日もまた、ご指導よろしくお願いします。
三日坊主
2015年11月01日 08:21
今日記事で引用されているダンマパダの記事を読みました。煩悩を消すには、預流果に達しても油断せず、阿羅漢を目指せと書かれていました。私の坐禅の師である小池龍之介さんは阿羅漢を目指されているそうです。昨日も参禅してきましたが、欲や怒りに流されず、ただ呼吸という特別面白いわけでもない平凡な感覚への気づきを教え続け、また実践し続けるのは並大抵のことではなく、偉人という感じがいたしました。かっこいいです。そういう人々に師事する縁に恵まれたのですから、できる限りついてゆきたいと思いました。