怒りなく 妄想しない 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<再6>

○ワン爺さんの独り言<6>
・・・
妄想するから怒るのであって、
妄想しない人にとって
怒ることは一つもありません。


第1 蛇の章 1蛇 6.

○スマナサーラ長老訳
心の中に怒りもなく、
あらゆる疑問に悩むことを
乗り越えた修行者は
蛇が脱皮するように
この世とかの世とをともに捨て去る。


○毎田周一先生
心中に怒りを持たず
物事の成ると成らぬとを超えてゆく
その修行者は この世とかの世を共に捨て去る
蛇が朽ち古りた皮を脱ぐように


○中村元先生訳
内に怒ることなく、
世の栄枯盛衰を超越した修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


○正田大観先生訳
彼に、諸々の怒りが〔心の〕内から存在しないなら、
しかして、〔彼は〕それについての有る無し〔の思い〕が超克された者であり、
その比丘は、此岸と彼岸を捨てる
――蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


○パーリ語原文
ヤッサンタラトー   ナ   サンティ   コーパー
Yassantarato     na    santi     kopā,
彼に 内から    ない   存在し    怒りが

イティバワーバワタンチャ     ウィーティワットー
Itibhavābhavatanca         vītivatto;
かくかくの有る無しを・そして   超越した者

ソー   ビック    ジャーティ   オーラパーラン
So    bhikkhu    jahāti      orapāraṃ,
その  比丘は    捨てる     この世あの世を

ウラゴー  ジンナミワッタチャン   プラーナン
urago    jiṇṇamivattacaṃ       purāṇaṃ.
蛇が    老化した皮を        古い


○一口メモ
今回の偈のテーマは怒りと妄想です。怒りについては、第1偈で学びましたが、今回は第5偈を踏まえての「怒り」が問題になります。

第5偈で、「存在において意義(実体)を見出せないことを発見した修行者」は、悟りに達したのですが、それは同時に、今回の偈において、「心の中に怒りもなく」ということになります。それは当然でしょう。実体のないものに対して怒る人はいません。人が怒るのは実体があると思っているからです。

更に、スマナサーラ長老の解説を、以下「原訳スッタニパータ」(121ページ)から引用します。

悟りに達した人は「好き、嫌いと判断する」「無常を無視する」「因果法則を無視する」ということはありません。観念が真理ではないと知っているからです。心の中から、観念が真理だと勘違いすることがなくなったのです。始めから、判断が成り立たないと悟った人にとっては、好きも嫌いも成り立たないので、心のなかで怒りが生じないのです。(以上引用)

イティバワーバワ(Itibhavābhava)は、「あらゆる疑問=物事の成ると成らぬ=世の栄枯盛衰=それについての有る無し〔の思い〕」と訳されていますが、簡単に言えば妄想です。ここで何故妄想が問題になるかと言えば、凡夫にとって妄想は怒りのエネルギーなのです。妄想がない人は、一時的に怒ることがあっても、怒りのエネルギーが消えて怒りは止みます。しかし、妄想する人は妄想をエネルギーにして、、怒りをいつまでも続けます。怒りは怨みになっていつまでも続くのです。

怒りも妄想も生まれない人は解脱に達した人です。蛇が脱皮するようにこの世とかの世とをともに捨て去るのです。


○前回のこの偈の解説

怒りなく 妄想しない 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<6>
http://76263383.at.webry.info/201304/article_6.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年01月18日 03:49
おはようございます。
この偈に関する解説には、耳の痛い言葉がたくさんあります。☆ワンギーサ長老「嫌いが怒りの始まり」「好きがあれば嫌いもある」「妄想は怒りのエネルギー」「怒りは怨みになっていつまでも続く」。☆スマナサーラ長老…「好き嫌いの罠にかかる」「攻撃する場合は弱いものを選ぶ」「怒りは、善人をつぶして、悪人を放っておく」。
厳しい内容ですが、頑張って続けると、二つの点が明らかになります。①好き嫌いは成り立たない。なぜならば、内(感覚器官)も外(対象)も、瞬間瞬間変化する、一時的な現象に過ぎないから(スマナサーラ長老P.120)。②「疑→妄想→思うこと」は、証拠不十分だから生じる。ブッダは「証拠があるなら結論に達する」という道を選んだ。だから眼前で真偽が実証される(P.130)。
法の六徳にある「sanditthiko/実証できる、何時でも、誰にでも体験することができる」とは、こういうことだったのですね。スッタニパータの奥深さには、いつも驚かされます。本日も、ご指導ありがとうございました。
巾着飴入れ
2016年01月18日 04:49
人に会います
その人と、別れます 
その人と、また会います
その人と、また分かれます
 
離れたくない、離れたい
などなく、本当に自然のままで合ったり、別れたり
それはまさに蛇の皮だなーと
こころざし
2016年01月18日 19:22
本文の「凡夫にとって妄想は怒りのエネルギーなのです」を拝見しハッとしました。そういえば日常で妄想がもの凄い勢いで回転する、怒りが出た時だ、と思いました。
怒らなければ、妄想が少ないのも感じます。
これまで、過去の事を思い出して怒る事に、今の時間を費やす愚かな自分がいました。
怒りも・妄想する事も、捨てたいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素適な夜となりますように。
シンプルなネズミ
2016年01月18日 20:24
阿羅漢にならないと怒りの感情と無縁になるのは論理的に無理でしょうね。
頭にきている時は自然と因果応報の話などに興味を持ってしまうものです。昔はそういう物語に溢れていたのですから、よほど日常生活は過酷だったということなのでしょう。
関東大震災で亡くなった富田木歩という俳人にすごく興味を持っていました。その人の終焉の地はよく視界に入っていたはずなのですが、全然気付かなかったですね…。はっきり言って理不尽な死ですが、昔の苦労して若くして死んだ人がたまらなく輝かしく見えてしまうんです。
本人達にとっては身勝手な考え方と思うかもしれませんが、私の怒りを主に回収してくれるのはそういう昔の人の存在感やエネルギーなのです。

幸せでありますように。
エル
2016年01月19日 10:21
私は怒りや欲に心を掴まれた時、普段の生活の中では集中的にその感情を消す時間もなく、これまで消極的な行動を選択しながら結局右往左往することが多かったと思います。何かを妄想していることが原因であることを学び、その「何か」が分かれば解決するのだということがわかりました。
たか坊
2016年04月30日 15:09
今回も、
明るく学べたコトを嬉しく思います♪
コツコツ励み焦らず精進します!