潜(ヒソ)んでる 煩悩もなくす 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<再14>

○ワン爺さんの独り言<14>
・・・
理由がないのに
怒ったり欲しくなったり
することがある。
それが潜在煩悩だろう。


第1 蛇の章 1蛇経 14.

○スマナサーラ長老訳
潜在煩悩が一つもなく
不善の根を殲滅(センメツ)した修行者は、
蛇が脱皮するように
この世とかの世とをともに捨て去る。


○毎田周一先生訳
よからぬ性癖の跡形もなく
不善の根の抜き去られた
その修行者は この世とかの世を共に捨て去る
蛇が朽ち古りた皮を脱ぐように


○中村元先生訳
悪い習性がいささかも存することなく、
悪の根を抜き取った修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。


○正田大観先生訳
彼に、何であれ、諸々の悪習(随眠)が存在せず、
諸々の善ならざることが根元から完破されたなら、
その比丘は、此岸と彼岸を捨てる
――蛇が老化した旧皮を〔捨て去る〕ように。


○パーリ語原文
ヤッサーヌサヤー  ナ    サンティ  ケーチ
Yassānusayā      na   santi     keci,
彼に潜在煩悩が   ない  存在し    何であれ

ムーレー チャ   アスサラー   サムーハターセー
mūlā    ca     akusalā     samūhatāse;
根が   また   不善の     根絶されたなら

ソー   ビック     ジャハーティ  オーラパーラン
So    bhikkhu    jahāti      orapāraṃ,
その   比丘は    捨てる      この世あの世を

ウラゴー  ジンナミワッタチャン   プラーナン
urago    jiṇṇamivattacaṃ      purāṇaṃ.
蛇が    老化した皮を       古い


○一口メモ
この偈のテーマは、スマナサーラ長老訳で言えば、「潜在煩悩」と「不善の根」です。外の先生方はそれらをそれぞれ「よからぬ性癖=悪い習性=悪習(随眠)」、「不善の根=悪の根=の善ならざること」と訳されています。

今回の偈に関する私の説明は「前回の偈のこの偈の解説」に書いたことですのでそれを再掲載します。(以下引用)

この偈では「潜在煩悩」と「不善の根」がテーマです。この二つは同じものだと考えてよいとスナマサーラ長老の「原訳『スッタニパータ』蛇の章」には書いてあります。潜在煩悩とは心に潜んでいて、待ち伏せしていて、突然、悪行為をさせてしまう要因なのです。人には発見できないのです。すぐ発見できる煩悩であるならば潜在煩悩とはいいません。

この潜在煩悩を終わらす方法が「中部経典第18蜜丸経」に書かれています。これは既にスッタニパータ8番から13番で学んだ「妄想・捏造の世界」を喜ばず、歓迎せず、愛着を持たなければ、この潜在煩悩は終わると書かれています。その意味では14番の偈で潜在煩悩という言葉が出てきたのは、パパンチャ(妄想・捏造)と「世間虚仮」(一切は虚妄である)に関する偈の流れなのです。

「中部経典第18蜜丸経」には次の7つの潜在煩悩が挙げられています。
①カーマラーガ(愛欲)、②パティガ(怒り)、③ディッティ(見解)、④ヴィチキッチャー(疑)、⑤マーナ(慢)、⑥バワラーガ(生存欲)、⑦アヴィジャー(無明)。

潜在煩悩に対する顕在煩悩として十煩悩を挙げておきましょう。
①ローバ(貪)、②ドーサ(瞋)、③モーハ(痴)、④マーナ(慢)、⑤ディッティ(見解)、⑥ヴィチキッチャー(疑)、⑦ティーナ(昏沈:落ち込み)、⑧ウッダッチャ(掉挙:落ち着きがないこと)、⑨アヒリカ(無慚:内心に恥じないこと)、⑩アノッタッパ(無愧:外部社会に恥じないこと)。

潜在煩悩も顕在煩悩をなくしたということは、不善の根を抜き尽くしたことであり、すべての煩悩をなくして、完全に心を清らかにして、悟りに達したという意味です。この方は蛇が脱皮するようにこの世もあの世も捨て去るのです。(以上引用)


○前回のこの偈の解説

潜(ヒソ)んでる 煩悩もなくす 修行者は この世あの世を ともに捨て去る<14>
http://76263383.at.webry.info/201304/article_14.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

kempsford
2016年01月26日 03:59
おはようございます。
「心の中で、表に出たくて待ち構えていた感情です(原訳スッタニパータP.190)」。身に覚えが山ほどあります。怖いです。ただ同時に「冥想すると心が復習するので、現れないようになる(P.192)」とあり、救われた気持ちになります。でも、油断禁物です。「欲の妄想を続けると、貪欲に染まった、頭がいかれた人間(P.188)」になるからです。真剣に修業すべきことを痛感させられます。本日も、ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年01月26日 07:23
おはようございます。
一目見て欲しいと思ったり・何かの行動を起こしたくなったり・・という事が日常的にあります。そのスィッチはもしかすると潜在煩悩からくるもの?と思う時があります。
また、客観的に見れば大した事がない・・という事に怒れてしまうのも同類でしょうか。
サティをする事で(潜在)煩悩が回らず・止めれる・無くせるように修行をしたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
巾着飴入り
2016年01月26日 11:36
性欲なんかは、中学生ぐらいで、これは何だという感じで、体の中から何か生まれます。それに従ってそのまま行うと、なんだかすごい悪いことをしたような気分になると、中学生ごろの仲間との会話です。体ってのは、訳が分からないんですね。私は今までの人生でもそう思います、ですから内部干渉は私はしません、出てきたものには対処します、そして決して体に怒りは持ちません、
シンプルなネズミ
2016年01月27日 05:30
嘘はよくないと思っていても、ネットの掲示板で思わず自演をやったりしましたね。自分の主張を通すためではなく、この場合はやった方が他人のためにもなるんだと(笑)
ネットを見ていると正直強引な主義主張に溢れていると思います。しかもそれは何かのきっかけで自分でも意外な形で顕在化した主張が多いのではないでしょうか。
これはつらいことですが、人は知らないうちに腐る、おかしくなってしまう、そういう意味で安全な人はいないという現実を直視する姿勢を社会でちゃんと共有するべきだと思うのです。個人の心理的な負担が減れば必然的に社会はいい方向に回っていくと思います。

幸せでありますように。
エル
2016年01月27日 17:22
過去の嫌な記憶を唐突に思い出し、心の中で不平不満を言っていて、怒りを回転させていて、しばらく時間がたってから、そもそも今そのことを思い出す必要性すらなかったことに気づく・・・という経験があります。
 最近もそのようなことがあったのですが、就職試験の前日で落ち着かなかったです。その時の「今」と、その過去の出来事とは心の波が似ているような感じがしました。思い出して、結局疲れ、不毛でした。「潜在」も「顕在」も私には書中の知識なので、実生活では訳も分からず踊らされているような感じがします。
たか坊
2016年05月02日 23:55
1つ1つ調べて、理解を深めていきます!
今回も楽しく学べたことを嬉しく思います♪