法津(のりつ)如来 の独り言

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zoom RSS 枝葉ある 竹はからむが たけのこは からまぬように 一人で歩く<再38>

<<   作成日時 : 2016/02/19 03:38   >>

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○ワン爺さんの独り言<38>
・・・
生活はシンプルに、
いろいろ持たずに、
考えることも、
「生きとし生けるものが幸せでありますように」


38.第1 蛇の章 3.犀角経 4.

○毎田周一先生訳

拡がる竹(の根)がからまるように
ひとは妻子に愛著する
筍(タケノコ)が何にもとりつかぬのをみて
犀の角のようにただ一人歩いてゆこう


○中村元先生訳

子や妻に対する愛著は、
たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。
筍が他のものにまつわりつくことのないように、
犀の角のようにただ独り歩め。


○正田大観先生訳

子たちや妻たちにたいする期待〔の思い〕は、
まさしく、〔枝や根が〕広く絡[から]みついた竹〔林〕のようなもの。
〔まとわりつくものが何もない〕筍[たけのこ]のように執着なき者は、
犀の角のように、独り、歩むもの。


○パーリ語原文

ワンソー   ウィサーローワ  ヤター    ウィサットー
Vaṃso     visālova       yathā     visatto,
竹       広く         ように    もつれた

プッテース  ダーレース   チャ   ヤー   アペッカー
puttesu     dāresu      ca     yā     apekkhā;
子       妻において    と    者は    愛情(ある)

ワンサッカリーローワ     サッジャマーノー
Vaṃsakkaḷīrova        asajjamāno,
筍が   ように       もつれない

エーコー   チャレー    カッガウィサーナカッポー
eko      care      khaggavisāṇakappo.
一人     行く      犀の角のように


○一口メモ
中村先生のこの訳を始めに読んだ時は、竹と筍(タケノコ)の対比がよく理解できませんでした。しかし、竹の根を補ってみるとよく分かります。竹の根は複雑にからみあっています。それに対して、筍は何にもからまずに、スクスクと伸びています。

以上は前回の解説ですが、今回読んで見ると、何を妄想して読んでいたのだろうと思いました。竹と筍の違いは明確です。竹には枝や葉がありますが、筍には枝も葉もありません。スクスク伸びても何にもからみあうことがありません。そこが明確な違いです。

子供や妻を竹の枝や葉に例えているのです。子供や妻に愛情を持つと、それにともなって、いろいろな感情がからまって、この感情ゆえの愛憎も現れるのです。これが悩み苦しみなのです。親子関係や夫婦の関係もだんだん単純ではなくなります。また、この関係に対する執着も根強いのです。

しかし、筍はどうでしょうか? 筍は竹藪の中で、からみついた竹の根から、抜け出して回りの竹藪の竹にからまずにスクスク伸びるのです。親子のしがらみから抜け出して、一路真理を目指して旅立つ修行者をイメージさせます。そのイメージを良しとする者は、犀の角のように一人歩くのです。

この偈を要約した短歌を次のように書き換えました。

枝葉ある 竹はからむが たけのこは からまぬように 一人で歩く<再38>



○前回のこの偈の解説

竹の根は もつれているが 筍(タケノコ)が からまぬように 一人で歩く<38>
http://76263383.at.webry.info/201305/article_8.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090−2311−9317に御連絡下さい。


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
なにが自分を傷つけるのか、と観察したことがあります。その結果、他者の悪意等の外部要因が自分を傷つける程度には限界がありました。ところが、自分の内にある「怠け」は、無制限に自分を傷つけることを発見致しました。即ち、本日の偈に置き換えると、「竹(の根)」は、決して「からまる」のではありません。自分が怠けていることによって、強引に「からめている」ことが判りました。問題はそこでした。ご指導ありがとうございました。
kempsford
2016/02/19 03:57
私はオバケのQ太郎は好きでしたが、ドラえもんは子供心にもいま一つ乗り切れませんでした。その理由が竹と筍の例えに近いのかもしれません。あの性格とロボットという設定がかみ合っていないように見えたのも理由の一つですが、のび太との関係やそれを取り巻く人間模様が妙に煩わしいものに見えたのでしょう。
私にとってドラえもんとサザエさんは煩わしいマンガの代表格に見えていたのではないでしょうか。それらが日本の「家庭マンガ」の代表である一方、オバQは似たような設定でありながらも日本的なカタルシスを代表するマンガと言ってもいい性格を有しているのでしょう。あくまでQ太郎の脱線ぶりを見せるためのスラップスティックです。
にも関わらず、ドラえもんの方が先の見えない「奇妙な世界」のような気がするのはなぜでしょうか…?

幸せでありますように。
シンプルなネズミ
2016/02/19 04:45
おはようございます。
(普通に生えている)竹を切って工作に使おうとする時、まずする事は枝を取る事です、そうでないと持ち運びが困難・・の事が浮かびました。タケノコですと、切ってしまえばさっと持ち運び出来ますね。
色々なしがらみの枝を断ち切って、タケノコの状態になれるように、執着するものがないようにしたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016/02/19 05:59
 子供の頃同居していた家族の数が半分以下になりました。家族を増やさなければという気分になったり、番犬が欲しくなったりします。これだけ社会保障のある時代に生まれても、将来への不安があり、それが家族によって(最低でも心理的には)解決されるはずという幻想を抱いてしまいます。結局人は生老病死からは逃れられないということが、まだ理解できないのだろうと思います。
 「ワン爺さん」に分かりやすい生活の指針を教わることができ、幸いでした。ありがとうございました。
エル
2016/02/19 10:25

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