尊き師 生臭について 説法し ヴェーダの達人 それを悟った<再251>

○ワン爺さんの独り言<251>
・・・
本当に生臭でない人の
真実の言葉で
苦行者ティッサは
生臭を理解した。


第2 小さな章 2.生臭経 13.

○中村元先生訳
251
以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説きたもうた。
ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。
なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、跡を追いがたい聖者(ブッダ)は、
種々の詩句を以てそれを説きたもうた。


○正田大観先生訳
254.(251) 
かくのごとく、世尊(過去仏カッサパ)は、繰り返し、
この義(意味)を告げ知らせた。呪文の奥義に至る者(苦行者ティッサ)は、それを知った。
生臭なく〔何ものにも〕依存せず〔何によっても〕捉えどころなき牟尼は、
様々な詩偈によって、〔それを〕明示した。(13)


○パーリ語原文
254.
イッチェータ マッタン    バガワー     プナップナン
Icc-etam atthaṃ       Bhagavā      punappunaṃ
以上の 意味を       世尊は      繰り返し

アッカースィ    タン     ウェーダイ    マンタパーラグー
akkhāsi,       taṃ     vedayi       mantapāragū,
告げた       それを    知った       真言の達人は

チトゥラーヒ     ガーターヒ     ムニー   パカーサイ
citrāhi        gāthāhi       munī      pakāsayi,
種々の       偈によって     聖者は    明らかにした

ニラーマガンドー   アスィトー     ドゥランナヨー
nirāmagandho      asito        durannayo.
生臭のない       依存しない    知り難い


○一口メモ
昨日までの偈で、生臭経の過去仏カッサパの説法は終わりました。今日と明日の偈は経典結集の編集者によって述べられたものです。

今日の偈の説明をします。過去仏カッサパ(この偈では「尊き師(ブッダ)」と表現されています。)は繰り返し、生臭について説明しました。生臭とは肉食をすることではなく、生きものを殺すような慈悲の心ないことを言うのである。また、生臭とは貪り、憎しみ、無知などの煩悩があることであると「ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)」に、彼が解るまで繰り返し説明したと編集者は述べています。この偈にある「ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)」とは、始めにブッダに「生臭とはないか?」と質問した苦行者ティッサです。

更に、編集者は聖者(ブッダ)は、生臭という煩悩がなく、何ものにも依存しない、深淵な智慧を持つためすべては知りえない存在と述べています。


○前回のこの偈の解説

尊き師 生臭について 説法し ヴェーダの達人 それを悟った<251>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_26.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.8.25.(木) 第37日目
 アラナ精舎は岸和田市流木町にあるが、ここに来るためには、最寄り駅(東岸和田)からバスに5分ほど乗らなければならない。もちろん、歩いても来れるが、夏は暑い。そのバス道路の両側は家が立ち並んでいるため、バスからは田畑はあまり見えない。私がいつも散歩する方面はバス道路のアラナ精舎側で、田んぼのある所まではかなりある。ある時、道路を横切って反対側を散歩した。そこは青々とした稲が一面に広がっていた。最近はそこを散歩している。時々稲穂が出てないかチェックしていたが、まだ出ていなかった。今朝、木岡さんに「この辺の稲は穂がいつ頃出るのでしょうか?」と聞いた。「もうそろそろでしょう。」と言われた。今日の散歩の時チェックすると、ほとんどの稲から稲が出ていた。これがお米になるのだなという感慨があった。不味い一句を読んだ。
 岸和田の田んぼの稲に花が咲く  ワンギーサ

 その他の話題は、先日京都から来られた男性のお言伝を木岡さんから頂いたことだ。彼はその時まだ「慈悲の実践のフルバージョン」を知らなかったので、「釈迦牟尼仏陀の世界」(慈悲の実践のフルバージョン)のパンフレットを差し上げた。彼はフルバージョンのおかげで、ゴキブリだけでなく、蚊にも慈悲を持てるようになったこと、仕事の相手の気持ちもわかるようになったこと、その他いろいろ上手回っているそうです。このような連絡をもらえるのも嬉しいことです。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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この記事へのコメント

kempsford
2016年08月26日 05:38
おはようございます。
「教育とは繰り返し」。某生の葉です。スマナサーラ長老も「繰り返す」ことの大切さを説かれておられます。と同時に、こうも仰っています。「でも、『いつかそのうち悟れるだろう』という気持ちではだめです。『この冥想で悟るぞ』という心構えで臨まなければなりません(アビダンマ講義)」。「いつかそのうち」という甘さの裏には、「自分は死なない」という無知があります。気を付けます。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年08月26日 07:21
おはようございます。
生き物を殺そうとする事、そして貪り、憎しみ、無知が生臭とのお話し、真理を感じました。日常でそれらから、宜しくない方向に思考・妄想が回転していくのを感じます。気が付いて止め、慈しみ、智慧を持って生きれるようになりたいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
たか坊
2016年10月23日 23:13
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪