城門の 柱のように 揺らがない 聖者に学び 幸せであれ<再229>

○ワン爺さんの独り言<229>
・・・
預流果に悟った方は
よく理解して、
仏教は正しいと
確信した方ですね。


第2 小さな章 1.宝経 8.

○日本テーラワーダ協会訳
[城の]主柱が地に立ちてあるならば、四方の風に揺らくことはない。
[四]聖諦を如実に観ぜし仙人[預流果の者]は、
是の如く喩えらるると我は言う。
此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。
此の真実により、幸いがあらんことを。


○中村元先生訳
229
城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、
四方からの風にも揺るがないように、
諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は、
これに譬えられるべきである、とわれは言う。
この勝れた宝<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。


○正田大観先生訳
231.(229) 
インダ(インドラ神)の杭(城門に立てられた標柱)が、
地に依拠したものとして存在し、四〔方〕の風に不動であるように、
その喩えのような者を、〔わたしは〕「正なる人士」と説く。
彼は、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を的確に見る者である。
これもまた、僧団における、妙なる宝である。
この真理によって、安穏有れ。(8)


○パーリ語原文
229.
ヤティンダキーロー      パタウィッスィトー    スィヤー
Yath’ indakhīlo         pathavissito       siyā
ように・インドラ・門柱     大地に・依存した     ある(ならば)

チャトゥッビ    ワーテーヒ   アサンパカンピヨー
catubbhi       vātehi       asampakampiyo,
四方からの    風によって   揺るがない

タトゥーパマン     サップリサン    ワダーミ
tathūpamaṃ       sappurisaṃ     vadāmi
その譬えのように   善き人と      私は言う

ヨー   アリヤサッチャーニ   アウェッチャ    パッサティ
yo     ariyasaccāni        avecca       passati,――
者は   聖なる真実を      確かに       見る

イダン ピ    サンゲー      ラタナン    パニータン
idam pi     saṅghe         ratanaṃ    paṇītaṃ,
これ も     サンガにおける  宝       勝れた

エーテーナ   サッチェーナ    スワッティ    ホートゥ
etena       saccena       suvatthi     hotu.
この       真実によって    幸せで      あれ


○一口メモ
前回、阿羅漢の聖者たちをサンガのトップ集団に譬えました。そうすると第二集団は不還果の聖者、第三集団は一来果の聖者です。そして、その後続は預流果に悟られた聖者たちです。後続集団とは言え、彼らの存在は勝宝なのです。人々に幸せをもたらす宝であることが今回の偈で述べられます。

この偈の始めの言葉「ヤティンダキーロー」とは、インドラ神の柱と言われる城門の前に立てられている標柱です。これは地中深く埋めて立てるのです。ですから、四方から吹くどんな風にも揺らがないのです。そしてこれは揺らがない物の象徴です。

そのように揺らがない人を「仙人」、「立派な人」、「正なる人士」と訳されていますが、「預流果の聖者」のことです。彼らは仏陀の教えの中心である「四聖諦」を正確に観察して、確信しているのです。この確信があるから揺らがないのです。彼らは涅槃への道、最高の幸福への道であることを理解しているのです。

私達は、預流果の聖者の確信に学び、四聖諦を学び、実践すれば、揺らがない確信を持てるのです。迷い悩む多くの人々の中にいて、確信が持てることは幸せの第一歩なのです。それだけで明るくなれるのです。


○前回のこの偈の解説

城門の 柱のように 揺らがない 聖者に学び 幸せであれ<229>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_7.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.8.6.(土) 第18日目
 今日は昼すぎから雷鳴が続き、雨が降り出した。夕方には止んだが、久しぶり天の恵みであった。
今日も先週と同じように、前日から宿泊された方がおられ、また小学生の娘さんとそのお母さんがお昼の食事のお布施をしてくれた。食事の前の短い説法では、ダンマパダ224番の因縁物語の話しをした。その内容は以下の通りです。
http://76263383.at.webry.info/201004/article_20.html
マハーモッガラーナという大長老が、あるとき神々はなぜ天界で幸福な生活をすることができるようになったのかと考えました。そこで、彼は神通第一の方でしたから、天界に行って神々に訊ねることにしました。
 はじめに会った神に、「あなたの栄華はすばらしい。なぜ神になれたのですか?」と聞きました。
この神は自分の行為を恥じて、「たいしたことはしてないのです。私は、布施をしたわけでもありません。仏教を勉強したわけでもありません。しかし、うそは言いませんでした。真実のみを語りました。」と言いました。
 次の神は「私は、昔女の奴隷でした。主人は棒などで乱暴する人でしたが、『怒ってはならない』と自分に言い聞かせて、決して怒りませんでした。」と答えました。その次の神は「私は施しをお願いされた時、ほんの少しの砂糖や果物や野菜をあげただけです。」と答えました。
このような小さな善行為で神々になれるものかどうか、マハーモッガラーナ大長老はお釈迦さまに聞きました。お釈迦さまは、「その通りです。」とお答えになました。

この話しを聞いて、小学生の女の子はなかなか賢くて「うそをつかないことも、怒らないことも、困った人に物をあげることも難しいよ。」と言っていました。確かにその通りですが、これら一つだけでも実践することで、神々になれるということです。これら三つを完全に実践すれば、涅槃に達することができるでしょう。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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