肉魚 食べないことや 苦行では 生臭人間 浄化はできない<再249>
○ワン爺さんの独り言<249>
・・・
苦行をすれば、
心は苦しくて、
優しくなれません。
だから、苦行はいけません。
第2 小さな章 2.生臭経 11.
○中村元先生訳
249
魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、
裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、
火神への献供につとめることも、
あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、
(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、
それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。
○正田大観先生訳
252.(249)
諸々の魚肉を食べざることにあらず、
裸身でいることにあらず、剃髪することにあらず、結髪することに〔あらず〕、埃〔をかぶること〕に〔あらず〕、
諸々の粗い鹿皮〔をまとうこと〕に〔あらず〕、祭火への捧げものの勤行にあらず、
あるいは、また、それらの、世における多くの不死の苦行、諸々の呪文や供犠、諸々の祭祀や季節の勤行に〔あらず〕
――疑いを超えずにいる人間を清めるのは。(11)
○パーリ語原文
249.
ナ マッチャマンサン ナーナーサカッタン
Na macchamaṃsaṃ nānāsakattaṃ,
ない 肉・魚を(食べないこと) 断食しないこと
ナ ナッギヤン ムンディヤン ジャター ジャッラン
Na naggiyaṃ muṇḍiyaṃ jaṭā jallaṃ
ない 裸体 剃髪 結髪 汚物まみれ
カラージナーニ ワー
kharājināni vā
粗い鹿の皮 或は
ナッギフッタッスパセーワナー ワ ヤー
nāggihuttass’ upasevanā va yā
ない・火への供養の奉仕 また それらは
イェー ワー ピ ローケー アマラー バフー タパー
ye vā pi loke amarā bahū tapā
それらの も また 世における 不死の 多くの 苦行
マンターフティ ヤンニャムトィーパセーワナー
mantāhutī yañña-m-utūpasevanā
真言の献供 犠牲・季節による苦行
ソーデーンティ マッチャン アウィティンナカンカン,
sodhenti maccaṃ avitiṇṇakaṅkhaṃ.
浄化する 人間を 疑惑を超えない
○一口メモ
ブッダは生臭とはいかなるものか説明した後に、ではいかにして生臭を克服して、清浄な人間になるかを語ることになります。その前に、間違った生臭についての考え方に基づく間違った生臭を克服する方法が役に立たないことを明らかにしました。
食べるものによって生臭になると思っている単純な人にとっては、生臭の原因と思っている獣肉や魚肉を食べないことで、或は断食で生臭を克服できると考えてしまうのでしょう。それがいかに勘違いかは、これまでのブッダの生臭についての説明でよくわかったと思います。
もう少し生臭を食べ物のみでないともう少し複雑考える人々も居ました。それらの人々は生臭を克服手段として、苦行やいろいろな儀式を行うことにしました。それらは裸形、裸で生活すること、剃髪、頭をそること、泥や塵にまみれること、或は粗い鹿の皮(あるはカモシカの皮)をまとうこと、その他の苦行を行うことです。儀式としては、火に神が宿るとして火を焚き、火に礼拝すること、マントラ(呪いの言葉)を唱えることなどです。
季節に依る苦行は、暑いときはより暑くし、寒い時はより寒い状態で耐える修行などでしょう。インドでは雨の季節がありますから、そのような時は家の中には入らず、樹の下に住むことだそうです。これらは何の意味があるかわかりませんが、人間は結構苦行が好きなのです。やったという気分を味わえるのかもしれません。
しかし、ブッダはこれらの修行で生臭を克服できないと断言しています。これは御自分で6年間の苦行の修行で確かめたことなのです。同様の趣旨の偈がダンマパダ141番でも述べられています。そちらも是非参照してください。その記事の表題とアドレスに下に示します。
もろもろの 苦行はあるが 意味はない 疑惑の人を 浄化はできない(141)
http://76263383.at.webry.info/201207/article_21.html
この偈の最後の行の「それらは、疑念を超えていない人を清めることができない。」は重要です。
この疑念は、生臭の意味が分かっていない人と私は理解しています。
○前回のこの偈の解説
肉魚 食べないことや 苦行では 生臭人間 浄化はできない<249>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_24.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
○アラナ精舎雨安居日記
2016.8.23.(火) 第35日目
今日は数学者岡潔の第一の心と第二の心について、いろいろ調べてみました。心と大脳生理学に関する記事がありましたから、それらについてまとめておきます。これをそのまま肯定するわけではありませんが、参考になります。
岡潔「岡の大脳生理」の解説
http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-dainou00.html
第一の心 情(感情) 1~5識 五感 側頭葉(情報処理機能)
(自我の心) 知(知識) 6識 意識 前頭葉(分析判断機能)
意(競争心) 7識 マナ識(本能)
第二の心
(無私の心) 意(向上信) 8識 アラヤ識(集合無意識) 頭頂葉
知(智慧) 9識 真如(仏教) 頭頂葉
情(情緒) 10識 真情(日本人の心) 後頭葉(視覚中枢)
感情=自分が嬉しい、自分が悲しい
真情(日本人の心)=人と自然の喜びを喜び、悲しみを悲しむ
競争心=人に勝って自分が喜ぶ
向上心=自分に
知識=知識は多ければ多いほど良い
真如=真理は一つ(万物はつながっている)
西洋は7識
東洋は8,9識
日本は10識
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。
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苦行をすれば、
心は苦しくて、
優しくなれません。
だから、苦行はいけません。
第2 小さな章 2.生臭経 11.
○中村元先生訳
249
魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、
裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、
火神への献供につとめることも、
あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、
(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、
それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。
○正田大観先生訳
252.(249)
諸々の魚肉を食べざることにあらず、
裸身でいることにあらず、剃髪することにあらず、結髪することに〔あらず〕、埃〔をかぶること〕に〔あらず〕、
諸々の粗い鹿皮〔をまとうこと〕に〔あらず〕、祭火への捧げものの勤行にあらず、
あるいは、また、それらの、世における多くの不死の苦行、諸々の呪文や供犠、諸々の祭祀や季節の勤行に〔あらず〕
――疑いを超えずにいる人間を清めるのは。(11)
○パーリ語原文
249.
ナ マッチャマンサン ナーナーサカッタン
Na macchamaṃsaṃ nānāsakattaṃ,
ない 肉・魚を(食べないこと) 断食しないこと
ナ ナッギヤン ムンディヤン ジャター ジャッラン
Na naggiyaṃ muṇḍiyaṃ jaṭā jallaṃ
ない 裸体 剃髪 結髪 汚物まみれ
カラージナーニ ワー
kharājināni vā
粗い鹿の皮 或は
ナッギフッタッスパセーワナー ワ ヤー
nāggihuttass’ upasevanā va yā
ない・火への供養の奉仕 また それらは
イェー ワー ピ ローケー アマラー バフー タパー
ye vā pi loke amarā bahū tapā
それらの も また 世における 不死の 多くの 苦行
マンターフティ ヤンニャムトィーパセーワナー
mantāhutī yañña-m-utūpasevanā
真言の献供 犠牲・季節による苦行
ソーデーンティ マッチャン アウィティンナカンカン,
sodhenti maccaṃ avitiṇṇakaṅkhaṃ.
浄化する 人間を 疑惑を超えない
○一口メモ
ブッダは生臭とはいかなるものか説明した後に、ではいかにして生臭を克服して、清浄な人間になるかを語ることになります。その前に、間違った生臭についての考え方に基づく間違った生臭を克服する方法が役に立たないことを明らかにしました。
食べるものによって生臭になると思っている単純な人にとっては、生臭の原因と思っている獣肉や魚肉を食べないことで、或は断食で生臭を克服できると考えてしまうのでしょう。それがいかに勘違いかは、これまでのブッダの生臭についての説明でよくわかったと思います。
もう少し生臭を食べ物のみでないともう少し複雑考える人々も居ました。それらの人々は生臭を克服手段として、苦行やいろいろな儀式を行うことにしました。それらは裸形、裸で生活すること、剃髪、頭をそること、泥や塵にまみれること、或は粗い鹿の皮(あるはカモシカの皮)をまとうこと、その他の苦行を行うことです。儀式としては、火に神が宿るとして火を焚き、火に礼拝すること、マントラ(呪いの言葉)を唱えることなどです。
季節に依る苦行は、暑いときはより暑くし、寒い時はより寒い状態で耐える修行などでしょう。インドでは雨の季節がありますから、そのような時は家の中には入らず、樹の下に住むことだそうです。これらは何の意味があるかわかりませんが、人間は結構苦行が好きなのです。やったという気分を味わえるのかもしれません。
しかし、ブッダはこれらの修行で生臭を克服できないと断言しています。これは御自分で6年間の苦行の修行で確かめたことなのです。同様の趣旨の偈がダンマパダ141番でも述べられています。そちらも是非参照してください。その記事の表題とアドレスに下に示します。
もろもろの 苦行はあるが 意味はない 疑惑の人を 浄化はできない(141)
http://76263383.at.webry.info/201207/article_21.html
この偈の最後の行の「それらは、疑念を超えていない人を清めることができない。」は重要です。
この疑念は、生臭の意味が分かっていない人と私は理解しています。
○前回のこの偈の解説
肉魚 食べないことや 苦行では 生臭人間 浄化はできない<249>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_24.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
○アラナ精舎雨安居日記
2016.8.23.(火) 第35日目
今日は数学者岡潔の第一の心と第二の心について、いろいろ調べてみました。心と大脳生理学に関する記事がありましたから、それらについてまとめておきます。これをそのまま肯定するわけではありませんが、参考になります。
岡潔「岡の大脳生理」の解説
http://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-dainou00.html
第一の心 情(感情) 1~5識 五感 側頭葉(情報処理機能)
(自我の心) 知(知識) 6識 意識 前頭葉(分析判断機能)
意(競争心) 7識 マナ識(本能)
第二の心
(無私の心) 意(向上信) 8識 アラヤ識(集合無意識) 頭頂葉
知(智慧) 9識 真如(仏教) 頭頂葉
情(情緒) 10識 真情(日本人の心) 後頭葉(視覚中枢)
感情=自分が嬉しい、自分が悲しい
真情(日本人の心)=人と自然の喜びを喜び、悲しみを悲しむ
競争心=人に勝って自分が喜ぶ
向上心=自分に
知識=知識は多ければ多いほど良い
真如=真理は一つ(万物はつながっている)
西洋は7識
東洋は8,9識
日本は10識
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。
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