煩悩は 渇愛が伸びて 対象に 絡みついた ようなものです<再272>

○ワン爺さんの独り言<272>
・・・
欲や怒りや無知を
煩悩と言います。
煩悩は自分から現れ、
自分を不幸にするのです。


第2 小さな章 5.スーチローマ夜叉経 3.

○中村元先生訳
272
それらは愛執から起こり、自身から現われる。
あたかも榕樹(バニヤン)の新しい若木が枝から生ずるようなものである。
それらが、ひろく諸々の執著していることは、
譬えば、つる草が林の中にはびこっているようなものである。


○正田大観先生訳
275.(272) 
〔それらは〕愛執〔の思い〕から生じるものであり、自己から発生したものです
――ニグローダ〔樹〕の幹から生じる〔ニグローダ樹の葉〕のように。
〔それらは〕諸々の欲望〔の対象〕に広く絡みついています
――林のなかにはびこった蔓草のように。(3)


○パーリ語原文
272.
スネーハジャー    アッタサンブーター
Snehajā          attasambhūtā
愛執から生じる     自分から発生した

ニグローダッセーワ     カンダジャー
nigrodhasseva         khandhajā
ニグローダ樹の・ように   幹から生じた

プトゥ     ウィサッター     カーメース
puthu     visattā        kāmesu
色々な   からみついて   欲望に

マールワー ワ      ウィタター ワネー
māluvā va       vitatā vane.
つる草の ように    はびこった   森に


○一口メモ
前回の偈で世尊は、欲や怒りや好き嫌いや恐怖など(煩悩)は、ここから生じると述べられました。しかし、それだけでは理解できないと思い、「ここ」を説明されたのです。それが今回の偈です。

「ここ」とは愛執なのです。また、「ここ」とは自分なのです。自分はないのですが、説明するためにはやむを得ないのです。愛執は別の言葉で言えば、渇愛です。

言葉による説明の次は、それを比喩で説明されます。ニグローダ樹の幹から若芽が生じるように、諸々の煩悩が自分の中の愛執(渇愛)から生じるのだと説かれています。それは森にはびこっているつる草のようにいろいろな欲望にからみついているのだというのです。

つる草は欲や怒りや好き嫌いや恐怖など(煩悩)です。それは自分の愛執(渇愛)が伸びて諸々の欲望にからみついたものなのです。


○前回のこの偈の解説

煩悩は 渇愛が伸びて 対象に 絡みついた ようなものです<272>
http://76263383.at.webry.info/201311/article_17.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.9.20.(火) 第63日目 
 今日は台風16号が大阪にも近づくなか、関西国際空港近くのホテルのレストランで食事のお布施を受けました。そのレストランは予約のキャンセルが多かったそうで、大変すいていました。前回そこに行った時は、目の前に関西国際空港がよく見えました。今回は雨や水煙で全然見えません。車だからそこに行けましたが、普通は来るのを止めるでしょう。食後もまだまだ風雨は止みません。帰りも風雨の中を精舎に帰りました。しかし、夕方の読経の後には雨は止みました。
 この台風に被害に遭われた方には不謹慎は発言と思われますが、台風は害ばかりでなく、台風のおかげで日本列島は利益を受けている面も忘れてはいけないと思います。その第一は、もし台風が日本に来なかったら、日本は砂漠になってしまうかもしれません。台風による災害を少なくしながら、台風の恵みにも感謝する必要があるのかなと思います。
 物事には多面的は性質がありますが、私たちはその時に応じて一部の性質をピックアップして、評価します。そのため、主観的、一面的な評価しかできないのです。これは台風に対してばかりでなく、もちろん人間に対してもそのように行います。例えば、親を恨んでいる人は、親が自分にしたネガティブな面だけを選択して、思い出して恨んでいるのです。しかし、そのように思われている親でも実は子供を育てるために、信じられないほど子供のために苦労をしているのです。しかし、親に恨みを持つ子供はそのことを見ようとしないのです。子供が親がしてくれたすべてのことを知ったら、親を憎むことはできなくなるのです。

 台風は 害ばかりでは ないのだと 自然の力 受け止めるべき


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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この記事へのコメント

kempsford
2016年09月21日 04:20
おはようございます。
ちょっと油断すると、あっという間に生じる雑草。不善心は雑草と似ています。「放っておけば、心は自然と悪い方向へと流れます」というスマナサーラ長老の教えの通りです。まさにそれこそが、性善説等の概念を超えた、「心の法則」です。「ニグローダ樹の幹から若芽が生じるように」・「森にはびこっているつる草のように」。このようにならぬよう、精進を怠ってはならぬ、と肝に銘じます。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年09月21日 07:24
おはようございます。
「自分」という認識をし、そしてそれに愛執する事で、諸々の状態が発生していると感じます。浮かんだ事は、我が子を守る親の姿勢は素晴らしい面があると感じますが、反面その事に愛執し、様々な苦を生む状況があると思います。
自分があるという誤認、そしてそこに愛執してしまう状態に気が付いて、そしてそれを減らせる・捨てれるようにしたいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
たか坊
2016年11月23日 18:28
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪