ある天子 世尊のもとに やって来た 神も解らぬ 質問持って<再・吉祥経の序>

○ワン爺さんの独り言<吉祥経の序>
・・・
みんな幸せになりたいのに
何が幸せか?
どうしたら幸せになれるか?
知らないのだ。


第2 小さな章 4.吉祥経 序.

○日本テーラワーダ協会訳
以下のように私は聞いております。
ある時世尊は舎衛城の祇樹給孤独園にお住まいでした。
その時、一人の容色麗しい天人が夜半過ぎに、
祇園を隈無く照らして世尊のおられる処に近付きました。
近付いて、世尊に礼拝して、一方に立ちました。
さて、一方に立ったその天人は、世尊に偈文によって申し上げました。


○中村元先生訳
わたしが聞いたところによると、
──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。そうして師に礼して傍らに立った。
そうしてその神は、師に詩を以て呼びかけた。


○正田大観先生訳
このように、わたしは聞きました。
或る時のことです。世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)に住んでおられます。
ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の聖園(祇園精舎)において。
そこで、まさに、或るどこかの天神が、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくジェータ林を照らして、世尊のおられるところに、そこへと近しく赴きました。
近しく赴いて、世尊を敬拝して、一方に立ちました。
一方に立った、まさに、その天神は、世尊に、詩偈をもって語りかけました。


○一口メモ
今回から、吉祥経が始ります。それに先立って、もちろんご存知の方もおられると思いますが、パティパダーの2016年1号から9月号に、「根本仏教講義『恵み』の法則(吉祥経)~福徳に恵まれた生き方~」が掲載されています。是非そちらもお読みなることをお勧めします。

序のパーリ語原文は省略します。

吉祥経の吉祥は、広辞苑で引くと「めでたいきざし。よい前兆。」となっていますが、パーリ語のmaṅgala は「幸福、幸せ」という意味であると理解しておいてください。

この吉祥経は、スリランカ、ミャンマー、タイなどの東南アジアの仏教国では、お正月、結婚式、誕生日などのおめでたいお祝いの席では必ずと言ってよいほど唱えられる祝福のお経です。

その内容は、今回示した序と天子の吉祥に関する質問の偈から始まる12の偈でブッダの38の幸福に関するの事柄の要点が述べられています。

吉祥に関する質問の由来はつぎの通りです。ある日、インドのある街で、「吉祥とは何か?眼に見えるものだろうか?耳に聞こえるものだろうか?心に思われるものだろうか?」と言う議論が人々の間で始まりました。その議論が全インド広がりました。それを聞いた人々の守護神たちも同じように吉祥について考え始めました。それらの神々は地神と友達です。地神も考え始めました。地神は空に住む神々と四大天王の神々と友達です。それらの神々も吉祥について考えました。そのようにして、ついに神々の王の帝釈天にまでその思案が届きました。帝釈天は「そのことを世尊にお尋ねしたのか?」と他の神々に聞きました。彼らは「王よ、誰もお尋ねしていません。」と答えました。王は「では、世尊にお尋ねしよう。」と考え、一人の天子に「お前が世尊に質問しなさい。」と命じました。その天子の質問が今回の吉祥経の始めの偈です。


○前回のこの偈の解説

ある天子 世尊のもとに やって来た 神も解らぬ 質問持って<吉祥経の序>
http://76263383.at.webry.info/201311/article_1.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記 
2016.9.3.(土) 第46日目
 今日は土曜日なので、自主瞑想に来られる方おられました。ただ静かに来られ、静かに瞑想し、静かに帰られます。わざわざアラナ精舎に来て瞑想される方は、それなりの意図をもってこられたのでしょう。目立った変化を感じられなかったとしてもなんらかの成果(功徳)を積んでいるはずです。
 先日の関西ダンマサークルでの質問のなかに、瞑想しても何も成果を感じられないがどうしたらよいのですかというものがありました。また無常、苦、無我を感じられたが、これでよいのですかという質問もあります。どちらの質問も結果を焦り過ぎのように思います。心はコロコロすぐ変化して、落ち着かないくせに、変化する癖はなかなか変わらないのです。ましてや潜在煩悩などと言われる煩悩はなかなかなくせません。成果があろうがなかろうが、何事も、歩く時は一歩一歩、食事をする時は一口一口、お経を唱える時や慈悲の冥想をする時は一言一言、一つずつ丁寧に行わなければなりません。そうすると不思議なことに、心が変わるのを感じます。
 そのようにしていたら、嬉しいニュースがありました。7月の終わり頃、木岡さんが校正していた本が9月17日に発売されるということです。それが毎日新聞の朝刊の一面の下の広告欄に次のよう内容で掲載されたそうです。

「読めばわかる パーリ語文法」木岡治美著 A5 300頁 本体3000円+税
パーリ語の基本的なこと学びたい人々に実用的にも学べる 山喜房佛書林

 木岡さんのお話しでは、水野弘元先生の『パーリ語文法』を初心者でもわかるように書いた本だそうです。パーリ語を学びたいと思っている方、今学びつつある方は是非購入して、読んで下さい。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。ランキングが上昇すると閲覧者が増えると思われるからです。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

kempsford
2016年09月04日 04:20
おはようございます。
ゴータミー精舎での法話会の際、座布団のセットのお手伝いをさせて頂くことがあります。そのとき、スマナサーラ長老用の座布団を、お釈迦様像の真ん前に置くと、必ず先輩方が、お釈迦様像からちょっとずれた位置に、座布団を移動させておられます。なぜかな?と疑問でしたが、パティパダー1月号の「吉祥経」を読んで、その理由がわかりました。「お釈迦様の真ん前には、誰も坐りません。直接、お釈迦様の目線を遮るような位置は避けるのです」。そういえば、他の経典でも、みなお釈迦様の「傍らに」坐して、教えを乞うておられます。今後、お釈迦様の前で礼拝する際は注意致します。ご指導ありがとうございました。
こころざし
2016年09月04日 07:00
おはようございます。
幸せになりたいと思って動き出すと、俗世間では金・地位・名誉に行きつく?ように思います。それで本当に幸せになれるのか分からないまま走ってしまう無知の怖さを実感致します。
吉祥経から学び、本当に幸せになれる事を身に着けたいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
たか坊
2016年11月02日 02:47
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪