正しい「信仰を身につけること」はよいことである。

ワン爺の独り言(2017.6.10.)
今回は昨日の「信仰のかたち」に関連する理法です。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou134_sub.htm


(以下引用)

【信仰を身につけること】

信仰を身につけることはよいことである。なんとなれば、人が正しい信仰を身につけるならば、かれは一切の争いを捨て去っていかなる誰をも嫌悪することがなく、何ものにもけしかけられず、またけしかけず、言葉を慎み、行為を慎み、想いを慎しんで、心身は安寧に帰し、気持ちはつねに晴れやかであって、あとで後悔するような悪事を為すことがないからである。かれは、非難に対しても賞讃に対しても動じる色がない。

それゆえに、こころある人は、正しい信仰を身につけるべきである。

(以上引用)


※ワン爺のコメント
覚りの境地に達したならば、「かれは一切の争いを捨て去っていかなる誰をも嫌悪することがなく、何ものにもけしかけられず、またけしかけず、言葉を慎み、行為を慎み、想いを慎しんで、心身は安寧に帰し、気持ちはつねに晴れやかであって、あとで後悔するような悪事を為すことがないからである。かれは、非難に対しても賞讃に対しても動じる色がない。」と言えるでしょう。この状態は、正しい信仰を身につけた人と同じようだと思いました。それならば、覚りの境地に達することができなくとも、正しい信仰を身につければよいでしょう。
実は、正しい信仰を身につけることは、覚りの境地に達するということかもしれません。


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この記事へのコメント

クリームコロッケ
2017年06月11日 16:54
「聖求ある人は、正しい信仰を起こす。そうして、次第次第にしあわせに近づき、ついにしあわせに達する。達する過程においても、達した後においても、しあわせから逆戻りすることがない。まさしくそのようになったとき、その信仰は正しい信仰だったのである。」
しあわせと言うのは次の事を指す。
「かれは、過去のことを後悔して思い煩うことがなく、現在について一切の悲苦憂悩を滅し、未来についても不吉なことが無い。それゆえに、しあわせだと知られる。」

以上、正しい信仰について調べてみました。
電子書籍『信仰』 第一章 第二節 より引用