慎しみについての理

ワン爺の独り言(2017年8月29日)
言葉を慎むことには、特別の意味はあることをSRKWブッダは教えています。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou205.htm


(以下引用)

【慎しみについての理】



過去のことはいざしらず、現在只今、言葉を慎しむことの意義を知って慎しみを実践する人は、かつて自らの発した言葉についての過誤が消え去る利益(りやく)を得る。



言葉を慎む人は、言葉によって起こる危険から自分をも他人をも護ることになる。けだし、言葉を正しく使う人を諸天・諸神は護るからである。

これらのことは、慎しみについての理(ことわり)である。

ある人々は、この理によって覚りの機縁を生じ、功徳を得て、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至るのである。

(以上引用)

*ワン爺のコメント
仏教では身語意の行いを慎むことを教えています。身は体による 行為です。語は言葉を交わすことです。意は心で想うことです。心で思うことが体の行為や言葉になりますから、心を慎むことが一番大切なような気がします。しかし、心で想うことは自分では気づき難く、制御しにくいのです。そこで、慎みを実践する人は、心の外に現れた体の行為や言葉に注意を向けて、それらを慎みます。特に、人間関係では言葉は大切です。どのような言葉を使うか、使わないか、さらに言葉をどのように使うかどのように使わないかで人間関係が成り立っていますので、言葉を慎むことは特別に重要なのです。

その上でこの理法では、言葉を慎しむことに特別の意義があることを教えているのです。言葉を慎むことで、かつて自らの発した言葉についての過誤が消え去ること、神々から守られるということ、さらに最も重要なことは「覚りの機縁を生じ、功徳を得て、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至るのである。」ということです。


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