世を厭う気持ち

ワン爺の独り言(2017年12月15日)
「自分を嫌悪するのでは、覚ることはできない。かと言って、未だ覚らぬ衆生の身たる自分がそのままで好ましいと思うようでは覚りは遙かに遠い。」とSRKWブッダは述べています。ではどうするか?
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou306.htm



(以下引用)

【世を厭う気持ち】

自分を嫌悪するのでは、覚ることはできない。かと言って、未だ覚らぬ衆生の身たる自分がそのままで好ましいと思うようでは覚りは遙かに遠い。

では、どんな自分ならば真に好ましいと思えるか? それについて熟考することは、道の歩みの大きな糧となり得る。ある人は、これによって世を厭う気持ちが定まり、解脱するからである。


(以上引用)


*ワン爺のコメント
昨年の今日12月15日、私はテーラワーダ仏教の比丘をやめました。彼らの言葉ではそれは還俗ということですが、私の内心では還俗したとは少しも思っていません。それまでは形骸化した修行が多かったのですが、それ以降は意味のある修行ができていると思っています。また、この一年を振り返ると長かったとも短かったとも思えません。充実した一年だったと思います。その内容はこのブログを読みかえせばよくわかります。

さて、今回の理法でありますが、「どんな自分ならば真に好ましいと思えるか? それについて熟考することは、道の歩みの大きな糧となり得る。」と提案されていますから、「どんな自分ならば真に好ましいと思えるか?」か考え、熟考して見ましょう。言うまでもないことですが、このは心の問題で、どんな心の人を真に好ましいと思えるか?」と言うことです。そして、そのような人になりたいと思うでしょうか? また、このような熟考の中で、世を厭う気持ちが生まれるでしょうか?

この記事へのコメント

toshi
2017年12月15日 07:48
 自分自身の事ですが、数年前から「この世界は苦しみに満ちている」ことを痛切に感じるようになりました。・・・地獄と言う表現は適切でないものの、経典に説かれる地獄の様相が「全てこの世界には揃っている・・・」と思えて、世を厭う気持ちが生まれました。・・・この世は、「すべて思い通りにはならないものである。」と言う真理を痛切に感じているのです。
ノブ
2017年12月15日 14:33
世を厭う気持ちとはどの様なものなのでしょうね。
世間の楽味と過患を知って、(出離の心を起こし)離貪するということらしいですが。
友人、家族に恵まれる、楽しい旅行に行く、おいしいものを食べる、娯楽に興じる、仕事に打ち込む?この様なものが楽味でしょうか。
そしてそれらに耽溺すれば過患となる。
世間には色々な楽味があると思いますが、それを私はよく知っているのかどうか。
てくてく
2017年12月15日 14:51
こんにちは。てくてくと申します。
書き込み失礼いたします。

自分は常に、自分自身に対して勝者で居たいです。
ノブ
2017年12月15日 17:19
先ず自分自身に小さく打ち克て。さらに大きく打ち克て。そして完全に打ち克って、一切の苦悩を超克せよ。とのことですから、
自分に打ち克つと言うのは、苦悩を超克する事なのかなと思いました。
釈尊も、憂いを離れて、、だったかな、そんな事を仰ってますし。