因果および縁起

ワン爺の独り言(2018年2月15日)
「因果は、ここに明らかな果(結果)があり、あれがまさしくその因であったと当事者に確信され、また第三者から見てもその(当事者が確信した)あれがまさしくその因であると考えられるという場合においてさえ、因果を確定することは実はできない。」これは重要な指摘です。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana035.htm



(以下引用)

【因果および縁起】



因果は、ここに明らかな果(結果)があり、あれがまさしくその因であったと当事者に確信され、また第三者から見てもその(当事者が確信した)あれがまさしくその因であると考えられるという場合においてさえ、因果を確定することは実はできない。

その一方で、縁起は、ここに明らかな報(結果)が顕れ、あれがまさしくその縁であったと当事者に確信された場合、その(当事者が確信した)あれが真実に縁であったと正しく確定され、それが覆ることはない。それは、第三者に認定してもらう必要のないものであり、それゆえに縁起を識る人には明(みょう)があると知られ称されるのである。



縁起を知った人は、因果の虚実を識る。しかしながら、因果を思惟・考研しても縁起を識ることはできない。

こころある人は、縁起によって無明を破り、因果(のくびき)を超克する人となれ。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
私は長い間仏教を誤解していました。仏教は原因と結果すなわち因果を教えるものであると思っていたのです。しかし、SRKWブッダの教えに出会って、そうでないことがわかってきました。仏教は縁起(因縁)を教えるものだったのです。もちろん、ゴータマブッダもそれを教えていたのです。

しかし、縁起(因縁)教えは複雑で難しいために、単純化して、仏教を因果として理解する人々がいるのです。ですから、SRKWブッダは「こころある人は、縁起によって無明を破り、因果(のくびき)を超克する人となれ。」と説かれるのです。

この記事へのコメント

toshi
2018年02月15日 07:25
 辞典をよると、「因果」とは「現象の原因と結果及びその間の関係性を表す。」とあり、そこには、「縁起」思想における「人間苦の生起と滅尽」のような大きな問題(テーマ)に対して、明確な解答を与える性質のものでは無い事が分かります。・・・「縁起」(縁起の理法)は簡単には、「これがあるとき、かれがある。これが滅するとき、かれが滅する。」と説かれ、仏教思想においては「縁起を見るものは法を見る。法を見るものは縁起を見る。」と言われる位重要な思想ですから、しっかりと学ぶ必要があると思います。