待つことに

ワン爺の独り言(2018年2月8日)
修行者の修行態度には大きく分けて三つあると言われています。一つは何かをなすこと。二つは為さないこと。そして三つ目は待つことです。今回は「待つことに」ついてSRKWブッダの感興句を引用しました。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana028.htm



(以下引用)

【待つことに】

待っていて、待ちくたびれない人は実に忍耐強い人であると知られる。待っていて、待ちきれず、待ちくたびれて、待つことを止めてしまう人には煩労があり、苦悩がつきまとい、事が過ぎ去ってなお後悔と憂いと悲しみとが心に残ってかれを苛む。

人をして円かな安穏(=ニルヴァーナ)に導き至らしめる<法の句>は、ただ待っていても聞くことはできないであろう。しかしながら、それを聞こうとこころから待ち望む人に向けてこそこの稀有の言葉は発せられるのである。

それゆえに、真実を知ろうと願う人は、待つことに飽いてはならない。それは、待ってましたとばかりにやって来ることはなく、待ちあぐねたゆえに訪れることも無いものであるが、因縁によってそれがまさに現れたとき、人が待ったなしの「そのこたえ」を自ら見いだし得たならば、かれは解脱するのである。ゆえに、この覚りの因縁を<一大事因縁>と名づく。

こころある人は、たとえ自分が待つことになろうとも、他の人をそのために待たせてはならない。他の人に、待ちわびた思いを与えてはならない。 悲哀の声を耳にすることを密かに望んではならぬ。それらを心の根底において払拭して、人を悲しませることのないようにせよ。それは、ただ待っていることよりも困難なことであるゆえに、もろもろの如来、ブッダ、世尊は、この最上の忍耐を為す健き人を、つねに称讃するのである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
今回は例によって、SRKWブッダのTwilogで「待つ」を検索して見ました。
その中で次のような言葉を見つけました。
(以下引用)
修行者の修行態度には、大きく三つある。一つは、何かを為すということである。もう一つは、敢えて為さないということである。さらに、時期の到来を待つということである。最後が最も難しいが、これが本来の修行者のあり得べき態度に他ならない。

もちろん、漫然と待つのでは待っていることにならない。気をつけて待つということが大事である。気をつけているためには、平静であるということ。平静であるためには、邪さを取り除いていなければならない。

ここで、日々のことがらを為しつつ時機の到来を待つということも出来る。これが正しい遍歴に他ならない。遍歴の結果として覚りがあるのではない。正しい遍歴を為す人は、功徳を積むので、次第次第に覚りの機縁が近づいてくるということである。

拙速であっては、時期の到来を待つどころでは無い。そこで、修行者はゆっくりと邁進せよと説かれる。
(以上引用)

待つことの重要性がわかちます。


この記事へのコメント

toshi
2018年02月08日 07:34
 若い頃、職場のトップの運転手兼秘書という仕事を行っていた事があります。唯々、「忍耐」の日々でした。・・・「待つ」そして「待たせる」という互いの行為の中に、人間のこころが持つ様々な感情模様を学んだ気がします。・・・「真実を知ろうと願う人は、待つことに飽いてはならない。」と本日の感興句ありますが、それは「人生そのもの」の姿であると思います。