道の歩みの可否

ワン爺の独り言(2018年5月16日)
「道の歩みの可否は、やる気(モチベーション)の問題ではない。もちろん、何かをしたからということでもない。道の歩みの可否は、『定まったか?』 どうかである。」とSRKWブッダは説かれます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/udana126.htm



(以下引用)

【道の歩みの可否】



道の歩みの可否は、やる気(モチベーション)の問題ではない。もちろん、何かをしたからということでもない。道の歩みの可否は、「定まったか?」 どうかである。正しい信仰が定まれば、すでにこの一なる道を歩んでいる。情欲を離れる気持ちが定まれば、名称(nama)の解脱(=心解脱)が起こる。世 を厭う気持ちが定まれば、形態(rupa)の解脱が起こる。正法の理解が定まったとき、慧解脱を生じて仏となる。

いわゆる決心によって定まる。しかしながら、決心すれば定まるのではない。決心に呼応した因縁を生じてこそ、それが定まる。気持ちの問題であり、その可否は各自のことがらである。

(以上引用)


*ワン爺のコメント
正しい信仰が定まれば、すでにこの一なる道を歩んでいる。・・・これは預流果です。
情欲を離れる気持ちが定まれば、名称(nama)の解脱(=心解脱)が起こる。・・・これは不還果です。
世 を厭う気持ちが定まれば、形態(rupa)の解脱が起こる。・・・これが阿羅漢果です。通説とは異なりますが、おそらくこれが正しいと思います。
正法の理解が定まったとき、慧解脱を生じて仏となる。・・・これこそが正自覚者(サンマーサンブッダ)です。

「いわゆる決心によって定まる。しかしながら、決心すれば定まるのではない。」・・・決心に呼応した因縁が必要であるということです。これには功徳が必要です。



この記事へのコメント

Satya
2018年05月16日 15:31
30代の頃(現在60代です)、「信仰」に関する書籍を読んで感銘をうけ、ほどなくして因縁がありました。

その本の著者はすでに遷化されておられます。

それから2度目の因縁があったのは22年後、さらに法の句(言葉)を法の句だと知ったのは、その3年後でした。

因縁は功徳があってのことですが、出世間的に生きるのではなく在家で仕事を続ける場合、ストレスや疲れから失念しないよう細心の注意が必要です。

先日、音楽を聞いて、ストレスによるダメージの修復を補うために利用していたのですが、

その内容をブログにUPした翌朝、象徴的な夢を見ました。

イーグル(鷲)の夢です。

世間の荒波に「コントロール」されないよう、注意しなくてはなりません。