ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ)第6章 戒しめ 13偈

13 修行僧が、心が高ぶりざわざわして、恣(ほしいまま)に怠りなまけて、外のことがらに心を向けているならば、戒しめと精神統一と知慧とは完成しない。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
ということは、心が落ち着いて、慎んで努めてはげみ、心を内に向けているならば、「戒しめと精神統一と知慧とは完成」するという事です。

ここで、「修行僧」という言葉がありますが、現在では「修行者」と考えてよいのです。ブッダの時代では修行者と言えば、修行僧だったのでしょう。

参考のために、「六祖壇経」から慧能の言葉を引用します。
「君たち、修行しようとおもうなら、在家でよろしい、寺にいることと関係はない。寺にいて修行しなければ、西のくにの人が心の悪い人であるのと同じだ。在家で修行すれば東のくにの人が善行をつむようなものだ。ひたすら自分に清浄の行をつみなさい、それが西のくにに他ならぬ。」(柳田聖山訳)



この記事へのコメント

ishi
2018年09月28日 10:45
 先生、こんにちは。
毎日更新ありがとうございます。私も在家でできる限り修業を積みたいとあらためて思いました。ふと先生に一度お目にかかれた日を振り返ってみるとすでに5年ほど経っていました。またいつかお会いしたいです。