ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第10章 信仰 3偈

3 信(まこと)は人の最高の財である。徳を良く実行したならば、幸せを受ける。真実は、実に諸の飲料のうちでも最も甘味なものである。明らかな知慧によって生きる人は、生きている人々のうちで最もすぐれた人であると言われる。

(スッタニパータ182 「この世では信仰が人間の最高の富である。徳行に篤(あつ)いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中での甘味である。智慧によって生きるのが最高の生活であるという。」)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
はじめにスッタニパータ182について、お話ししますと、この偈はアーラヴァカという神霊がゴータマ・ブッダに質問をし、その答えであります。その質問とは次の通りです。

この世で人間の最高の富は何であるか?
いかなる善行が徳行が安楽をもたらすのか?
実に味の中での甘味は何であるか?
どのように生きるのが最高の生活であるのか?

この質問の答えであると考えると偈の意味もわかりやすいと思います。

ウダーナヴァルガ10章3偈で、中村元氏は信を「まこと」と読ませていますのは、前回の2偈の「信(まこと)ある人」岩波文庫の注に「ここでは教義を信仰する人という意味ではなくて、「心のすなおな人」の意であろう。」という解釈によるものです。そのような解釈もありますが、ここでは素直に信仰として、この章で信仰について学べばよいと思います。

さて、「この世で人間の最高の富は何であるか?」という問いに対して、「この世では信仰が人間の最高の富である。」となぜ答えたのでしょうか?

私の回答を述べてみましょう。皆様もそれぞれ考えてください。

SRKWブッダは次のように述べておられます。
「聖求がエンジンである。信仰がガソリンである。豪華な内装は、福徳の栄えである。しっかりとした人生を送る人は、快適に人生を過ごし、究極の目的地(ニルヴァーナ)に余裕をもって到達する。 こころある人は、生きている間に解脱せよ。 乗り物は、そのためにこそ用意されているのである。」
究極の目的地(ニルヴァーナ)に至る乗り物のガソリンが信仰ならば、それは最高の富だろうと思うのです。


この記事へのコメント

ノブ
2018年11月16日 22:10
尊敬さるべき人々への信仰とは何か?と考えると、人としてのありえべき姿を身に顕すことの正しさ、当然さ、を知っていて、しかも衆生にとってのそのなし難きをも知っている、と言うことではないかと考えました。
なぜなし難いかと言うと、余計なものへの執著があるからです。

余計なものへの執著がないとは、ありのままということではありません。
ありのままでは無いが、人として完成しているそれと言うことです。