ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第10章 信仰 14偈、15偈

14 信仰の無い人とつき合うな。水の乾(ひ)からびた池のようなものである。もしもそこを掘るならば、泥くさい臭(にお)いのする水が出て来るだろう。

15 しかし、信仰心あり明らかな知慧ある人とつき合え。___水をもとめている人が湖に近ずくように。そこには、透明で清く澄み、冷(ひや)やかで、濁りの無い水がある。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
自分の付き合っている人が、信仰心があるかどうかどのように判断するのだろうか?

その前に、判断しなくとも、自分に信仰心があれば心配ありません。自分に信仰心があれば、その人の周りには信仰心のある人が集まってきます。信仰心のない人は離れて行くでしょう。

また、これらの偈を読むときは、信仰あるいは信仰心とは、正しい信仰、正しい信仰心と理解すべきです。世の中には怪しげな信仰あるいは信仰心が多いからです。

ここでSRKWブッダの言葉を引用します。ここでは正しい信仰心を真の信仰心と表現されています。
(以下引用)
信じるに値する材料があるから信仰を生じるのではない。こころある人は自ら信仰を起こす。仏教は信じて覚る道ではない。仏教は、真実を知ろうとすることによって結果的に覚りが訪れる道である。 真の信仰心とは「聖求」に他ならない。聖求とは、自分は覚れるという微かな覚知である。
(以上引用)

結局、自分は覚れるという微かな知覚のある人と付き合うように、その逆に自分は覚りとは関係ないと思うような人とは深く付き合わない方がよいという事でしょう。


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