感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第20章 怒り 20偈、21偈

20 怒ることなく、身がととのえられ、正しく生活し、正しく知って解脱している人に、どうして怒りがあろうか? かれには怒りは存在しない。

21 怒らぬことと不傷害とは、つねに気高い人々のうちに住んでいる。怒りは悪人のうちにつねに存在している。___山岳のように。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

20偈は、17偈と内容が同一なので、そちらのコメントを参照してください。
https://76263383.at.webry.info/201905/article_11.html


21偈について。
不傷害はアヒンサーの日本語訳です。アヒンサーは非暴力という意味で、殺さない、暴力を振るわないということです。怒りによって暴力は振るわれますから、怒りのない人は暴力を振るわないのです。

21偈の「___山脈のように」は、釈尊はヒマラヤ山脈をイメージしていたのでしょう。とすると怒らないことはヒマラヤ山脈のように気高い人々の心のうちに住んでいることになります。また、怒りは悪人の心のうちにヒマラヤ山脈のように住んでいることになるのです。

怒らない山脈ができた人々は、つねに気高い人々なのです。

怒りの山脈のある人は、つねに悪人ですが、なんとかその山脈を掘り崩して、怒らない山脈を作って欲しいと思います。「愚公山を移す」という諺がありますから、不可能ではありません。