感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第20章 怒り 22偈

22 走る車をおさえるように、ここでむらむらと起る怒りをおさえる人___かれをわれは<御者>とよぶ。そうでなければ、この人はただ手綱(たづな)を手にしているだけである。(<御者>とよぶにはふさわしくない。)

(ダンマパダ222 走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人___かれをわれは<御者>とよぶ。他の人はただ手綱(たづな)を手にしているだけである。(<御者>とよぶにはふさわしくない。) 

               以上第20章 怒り

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「怒りはいけない、怒りは毒だ」と思考では理解し、それをやめようと思った後も、何回も怒りが現れた。怒りが現れると気づく前に、怒りが現れていました。そして、後悔するのでした。確かに、その<御者>とは言えません。

確か「法の句」を聞く直前も怒りが現れていました。それに対して深く懺悔をしました。その直後に、10歳になる孫から「法の句」を聞いたのです。

その後は、怒りは現れていません。確かに<御者>になったのです。


(本日は、サーバーのメンテナンスのために、掲載が遅れました。)