感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第21章 如来 16偈

16 如来なる仏はこの世で自ら現れたものであり、闇を除き、彼岸に達した大仙人であるが、かれに二つの思いがしばしばはたらきかける。___(一つは)安穏という思いであり、(他の一つは)人を離れて孤独をたのしむことと結びついている。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

この偈は如来の思いはどのようなものかを示しています。

一つは、安穏という思いです。安穏は辞書的には「心静かに落ち着いていること」ですが、如来の思いは、他を害することをないことを喜び、他を害しないことを楽しむということです。SRKWの言葉を借りれば、自分を含めて誰も悲しめないことを喜び、楽しむということです。

他の一つは、人を離れて孤独をたのしむことと結びついていることとありますが、いわゆる孤独を楽しむこととは違います。むしろ、世間の喧騒から離れて、静けさを喜び、楽しむことです。

孤独については、SRKWブッダの理法「孤独」がありますから、引用します。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou335.htm

(以下引用)
【孤独】
 修行者が孤独であるべき――孤独の境地に励むべき――であると言うのは、修行はすべて自分自身のことがらであり他者との関わりに よって修行が進むなどということがまったく無いというほどの意。したがって、修行者が孤独であるべきというのは世人が孤独であることとは意味合いが違う ところで、もちろん覚りの機縁は他者との縁によるものであるが、これは世間の人の関わりとは違うものとなる。すなわち、修行者は孤独であってはならず世間 の人々と一定の関わりを持つべきである。しかし、そのようでありながら修行者は孤独の境地に励むべきであると説かれるのである。

 また、ブッダの孤独と言うのは、ブッダが孤独であるという意味では無い。これは、「もし世界に自分一人だけしか存在していないとするならば、たとえ衆生であっても一切の苦悩は終滅する(苦悩がそもそも 生起しない)」ことと同義のことがらとしてのことである。この意味においてブッダは孤独であり、しかしそれゆえに一切の苦悩から解脱していると知られるのであ る。
(以上引用)