#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 10偈〜14偈

11 学ぶことに生きがいを認め、奉仕(看護)を楽しむために、(戒律をまもって)生き、ブラフマンを奉じた生活を送っている人々がいる。___これは一つの極端説であると説かれている。

12 「快楽は享受されるべきであり、清らかである。快楽のうちに欠点は存在しない」とこのように見なす愚者どもがいる。___これは第二の極端説であると説かれている。

13 この二つの極端説を熟知しないで、愚者たちはそこに沈溺する。しかし他の愚者たちは走り過ぎて行く。眼ある人はかれらをよく見とどける。

14 この二つの極端説を知って、そこにとどこおっていなかった賢者たちは、それで思い上ることはない。かれには(決った)道が存在しないのである。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

今回は、転法輪経のはじめの部分を引用します。

(以下引用)
比丘たちよ、これら二つの極端は出家者のなすべきことではない。二つの極端とは何であるか、五欲における卑俗な・在俗の・凡俗な・聖者の行なうものでない・利益を伴わない娯楽に執着し耽ること、及び苦しい・聖者の行なうものでない・利益の伴わない肉体を苦しめる苦行に努めつことである。
比丘たちよ、如来はこれらの極端に従わず、中道をよく覚られた。

(以上引用:ウ・ヴェーップッラ著「南方仏教基本聖典」より)

ゴータマ・ブッダはインドの王国の王子として生まれたので、快楽を享受できる環境でありましたが、その環境の中で生老病死の苦しみに気づき、出家して苦行を始めます。しかし、これらの極端の道では解脱できないことを覚ったのです。

11偈は、肉体的な苦行ではありませんが、考え方の苦行、自由な考え方を規制するもの、ある考え方に執着する極端説をしめしています。

12偈は、享楽を推奨しているという点で、極端説なのです。

13偈では、二つの極端説をよく観察すべきことを述べています。

14偈では、二つの極端説をよく観察した賢者は、極端説に固執しないので、思い上がらないのです。