#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 39偈

39 単にすがたを見る人は、どうしてすがたをさらに吟味して見ることが無いのであろうか? すがたを見ない人がつねにすがたをさらに吟味して見ることが無いのは、どうしてであろうか? 何があるときに、すがたをさらに吟味して見ることがあるのだろうか? 何が無いときに、すがたをさらに吟味して見ることが無いのであろうか?

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

単にすがたを見る人は、どうしてすがたをさらに吟味して見ることが無いのであろうか?

単にすがたを見る人とは覚者です。覚者はありのままにすがたを見ているので、すがたをさらに吟味して見る必要がないのです。

すがたを見ない人がつねにすがたをさらに吟味して見ることが無いのは、どうしてであろうか?

「すがたを見ない人」とは衆生です。衆生はすがたをさらに吟味して見る必要を感じていないのです。

何があるときに、すがたをさらに吟味して見ることがあるのだろうか?

覚者には智慧があります。智慧があるとき、すがたをさらに吟味して見ることはないのです。

何が無いときに、すがたをさらに吟味して見ることが無いのであろうか?

衆生には智慧がありません。智慧がないときも、すがたをさらに吟味して見ることが無いのです。





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