#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 29偈

29 愛欲の園からも離れて、愛欲の林から脱している人々からも離れているのに、また愛欲の林に向かって走る。___この人を見よ! 束縛から脱しているのに、また束縛に向かって走るのである。 

(ダンマパダ344 愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね、愛欲の林から免(のが)れていながら、また愛欲の林に向って走る。その人を見よ! 束縛から脱しているのに、また束縛に向って走る。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

ダンマパダ344については、以前解説しました。その一つを引用します。
https://76263383.at.webry.info/200810/article_19.html

(以下引用)
 この詩については初めに、この詩の出来た因縁物語を紹介しましょう。

 「マハーカッサパ長老の弟子にある比丘がいました。その比丘は修行して第四禅定の段階まで達することができるようになりました。しかし、ある日彼は托鉢をしている最中に一人の婦人を見た時、急に激しい情欲が生じました。それに気付いた彼は、修行の未熟さに強いショックを受け、サンガを去って還俗しました。以降いろいろな職業につきましたが、うまくいかず、盗賊の起こした事件に巻き込まれて、死刑の判決を受けました。

 刑場につれていかれ行かれる彼を、 托鉢中のカッサパ長老が見て、『昔の修行を思い出すのだ。』と声をかけました。長老の声に彼は昔の修行時代を思い出し、刑場において第四禅定の冥想に入りました。死刑執行人たちは彼の清々しい姿を見て、『彼には死の恐怖がない』と畏怖を感じました。このことが王に報告され、再吟味が行われ、彼の無罪が判明しました。解放された彼に釈尊は上の詩を述べ、還俗の愚かを説きました。この説法により彼は預流果を得て、許されて、再びサンガに入団した後、阿羅漢果を得ました。」(北嶋泰観 訳注「パーリ語仏典ダンマパダ」377~378ページ)

 「欲の林からぬけながら欲の林に走るこむ」
 「欲の林」とは世俗のことです。世俗は欲の誘惑が多く、しがらみが多く、修行をするには困難な条件が多いのです。「欲の林をぬけながら」はそのような世俗のしがらみから抜け出して、出家することです。出家の生活とは世俗の生活と比べるとわずらわしいことが少ないのです。例えば、衣服で言えば衣だけですから、何をきるか迷うこともありません。食べ物も托鉢をして得たものを食べるだけですから、何を食べるかわずらう必要がありません。
 「欲の林に走りこむ」はせっかく出家してわずらわしい生活の少ない条件ができたのに、また悩み苦しみの多い世俗に戻ることです。出家を止めること、還俗することです。

 この因縁物語の比丘のように、幸福な生活はできる筈はなく、死刑犯に間違えられしまうようなことになるのです。一度は出家までした人にとっては本当の愚かなことなのです。そのきっかけはほんの一瞬のこともあります。このブログで9月5日に書いたダンマパダ284番の詩は参考になりますので是非参照ください。http://76263383.at.webry.info/200809/article_5.html

(以上引用)