#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第31章 心 12偈

12 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、憎しみが心に侵入する。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) 


*法津如来のコメント

今回の偈は、昨日掲載した11偈「屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。」の「情欲」が「憎しみ」に変わったものです。

昨日、「心を修養していないならば、」は「考え方を変えないならば、」の意味であると説明しました。では「憎しみ」は、どのような考え方の時、心に侵入してくるのか思い出してみましょう。

私は、以前はかなり怒りぽい性格はありましたが、その怒りは持続せず、あまり憎くむという記憶はありません。妻や娘は「一生憎んでやる」などと言っていた記憶があります。その時、わたしは、「それだけはやめなさい。」と言ったと覚えています。

自分に危害を加えられたり、利益を損なわれたりした場合に、憎むということがありますが、それより自分の非難されたり、名誉が傷つけられた時に憎むという現象が多く現れるようです。

また、自分が不利益を被った場合も、相手が自然現象である場合は憎しみは起らず、相手が特定の個人の場合に憎しみが強く現れます。

結論を急ぎます。自分の不利益は、特定の個人のせいではなく、自然現象だと思えばよいのです。また、自分が非難されても、自分の尊厳は何も変化はしないのです。非難に反応する必要はありません。

さらに言えば、本来自分と言えるものは何もないのですから、自分の名誉などはなく、ですから傷つけられることもないのです。憎む必要はないのです。