#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第32章 修行僧 31偈、32偈

31、32 戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、また人々から離れてひとり臥すことによっても、修行僧は安心・油断してはならない。___煩悩の汚れがなくならないうちは。むしろ凡夫の味わい得ないものである「さとり」の楽しみに触れよ。

(ダンマパダ271、272 わたくしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。 )

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

「戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、また人々から離れてひとり臥すことによっても、修行僧は安心・油断してはならない。」と言われると、ではどうすればよいのかと問う修行者がおられます。

これは、戒律や誓いや、仏典を学ぶこと、また瞑想をすることが悪いといいうことではありません。それらの修行の結果で、煩悩が完全になくなったかどうかが問題なのです。それらの修行が正しく行われれば、功徳を積むことになり、因縁により、解脱するでしょう。そうすれば、煩悩の汚れは完全になくなるのです。

修行を正しく行なうとは、正しい心構えで、修行をすることです。正しい心構えとは、端的に言えば、本当にやさしい人間になろうとする心構えです。




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