#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第33章 バラモン 69偈

69 もしもバラモンが自分のつとめに関して彼岸に達した(=完全になった)ときには、真理を観ずるかれにとって、一切の感受は消滅するであろう。

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*法津如来のコメント

前半の「もしもバラモンが自分のつとめに関して彼岸に達した(=完全になった)ときには、」は、前回の68偈と同じです。それを「修行者が、自分に必要な修行にはげみ、解脱して、ニルヴァーナ(涅槃)に達したときは、」と説明しました。

後半の「真理を観ずるかれにとって、一切の感受は消滅するであろう。」と書いてありますが、一切の感受が消滅しているから、真理が観えているということであります。

「一切の感受は消滅する」とは、感覚はあるが、快や不快を感じないということです。これにともなって、敵か味方か、善か不善かなどが問題にならないということです。また欲や怒りが現れなくなるのです。


この記事へのコメント

自分
2020年07月08日 07:33
快や不快を感じない境地に幸せだと言って執着するのでなしに

快や不快を感じない境地も捨てたら

ネハン

認識する本体も消える

例えば

知恵の輪を解けて、悩み苦しみが消えた境地が幸せだと執着するのではなく

知恵の輪と認識する手前に戻るようなもの

認識する前にね
自分
2020年07月08日 07:56
もう1つ例を出そう

大海から飛び出した1滴の水が自我だとしよう

自分は1滴の水で大海を見下ろしてるし、自分が1滴の水だという認識もある

ネハンに至ろうと

1滴の水の自分が大海に飛び込んだ

快も不快も感じない自分がいた

それに酔いしれ幸せの境地を手放さない

しかし

幸せ境地を手放したら

大海に戻る

どこにも1滴の水と言えるものはないが

1滴の水がこの世から消えた訳ではない

しかし1滴の水はどこにも見当たらない

1滴の水が溶けて大海に至った

認識する本体、1滴の水と言えるものはどこにもない

感受する1滴の水はないが

1滴の水は大海に溶けている

これがネハン
自分
2020年07月08日 08:13
もう1つ例をあげよう

カメラは認識をする

カメラは快も不快も感じないが

認識するからカメラです

カメラの電池が切れたら

認識しないから

カメラ自身にとってはカメラでない

カメラ自身が消えた

カメラ本体が認識しなくなった

カメラのネハン
自分
2020年07月08日 08:32
知恵の輪を見て

「やる」「やらない」「放っておく」

この3つのうちどれかが現れたら既に負けなんです

「放っておけた」と幸せを感じても負けなんです

知恵の輪を知恵の輪と認識した時点で負け

知恵の輪を知恵の輪と認識が起きる手前が平安なんです
自分
2020年07月08日 08:34
食べ物を見て

「食べる」「食べない」「放っておく」

この3つのうちどれかが現れたら既に負けなんです

「放っておけた」と幸せを感じても負けなんです

食べ物を食べ物と認識した時点で負け

食べ物を食べ物と認識が起きる手前が平安なんです
自分
2020年07月08日 08:38
認識が起きたら負けなんです

一切の認識がなくなったら

ネハン

認識する本体がない

大海(1滴の水は大海に溶けて消えた)

電池が切れたカメラ(はカメラと言えない)
自分
2020年07月08日 09:25
それが出来る者がバラモンなんです

それが出来た者がバラモンなんです

自分です
自分
2020年07月08日 09:42
真理(真に理解する)とは

認識するから全てが始まる

認識の滅に至ることが

全ての解決
自分
2020年07月08日 09:45
認識の滅に至れる者に

認識は恐怖じゃないんです

認識しても

認識の滅に至れるからです

それが自分です
自分
2020年07月08日 15:35
それから、北海道行ったり帰ったりあまり、公共交通期間(複数の人と乗り合わせ)気を付けた方がいいよ。いくら自分自身は幸福だと言っても