SRKWブッダ著「仏道の真実++」【経典の読誦】(9)

(以下引用)

【経典の読誦】(9)

ところが、経典が素晴らしいのはそれだけではないのである。

経典は、読誦してその雰囲気を味わうだけでも一つの修行として成立し得ることが分かっているからである。

このとき、経典の内容を理解する必要さえ無い。

経典の中の仏が衆生に向かって語る様子をイメージするだけでも良いのである。

その経典と縁がある修行者は、それだけによっても一つの解脱を生じ得るからである。

経典には、それを著したブッダの雰囲気が残っている。

原著が他の言語に翻訳されても、その雰囲気は損なわれない。

それを味わうことによって、その仏に親近し得るということである。


実際、私の細君はそのようにして身解脱(形態(rupa)の解脱)を達成している。

また、他の弟子は、私が指摘した経典の箇所とは違う場所を正法であると見定め、その自ら見出した正法によって作仏している。

 

このようなことから、修行者にはそれぞれ縁のある経典が存在するようである。

修行者は、いろいろな経典を読誦するうちにそのような経典に出会うであろう。

それは一つとは限らない。

楽しんで読める経典があれば、それぞれの経典に縁があるのだと考えて楽しめば良いのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

今回の引用で、「経典の読誦」の章は終わります。

最後の「楽しんで読める経典があれば、それぞれの経典に縁があるのだと考えて楽しめば良いのである。」がこの章の結びになります。

ですから、修行者はいろいろな経典に出会って下さい。



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