SRKWブッダ著「仏道の真実++」【解脱知見】(1)

(以下引用)

【解脱知見】(1)

「解脱したときには、解脱したという正しい知見を生じる」

と、説かれる。これは本当のことである。

ただし、これは真に解脱を生じた人にとってそうであるということであって、自分の覚りを勘違いしている者には当て嵌まらない。そして、覚りを勘違いしている者は、解脱知見そのものを自分の都合が良いようにねじ曲げて解釈することになってしまうだろう。

最初にはっきりさせておきたいことは、解脱したときにはそのことが自分で分かるということである。このため、覚りを他の人に認定してもらう必要はないことも知るのである。したがって、逆に自分の解脱を誰かに認定してもらわなければならないと考える者は、間違いなく解脱していないと言えることになる。実際、私の弟子の数人はすでに解脱を果たしていると見られるが、誰一人として自分の解脱を認定して欲しいと師である私に言ってきた者はいない。また、自分の覚りの機縁となった法の句が本物であるかどうか確認して欲しいなどと言ってきた者もいない。そして、この事実が、彼らが間違いなく解脱知見を生じている証左である。

しかしながら、もちろん、未だ覚っていない者が自己判断で自分の解脱を主張しても、それは解脱したことを証するものとはならない。例えば、経典の記述と自分の状態が同じであるから——それは本人がそう思っているだけなのであるが——自分は解脱したのだと考えることなどがそれに当たる。あるいは、自分が未だかつて経験したことのない境涯に達したので、これこそ解脱なのだろうと空想して思い込むような場合もある。もちろん、それでは覚ったことにはならない。例えば、素晴らしい発見や発明を為し遂げたと主張する者があっても、その信憑性や再現性、あるいは有効性に問題があれば認められないようなものである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

このブログ10月14日に引用した「修行の終わり」の章で、「解脱知見」の言葉がでました。
https://76263383.at.webry.info/202010/article_16.html

それを今回から4回に分けて「解脱知見」の章を引用し、解説することになります。

ではまず、「解脱したときには、解脱したという正しい知見を生じる」という事実があります。

解脱と解脱知見とは別の現象です。

後にでますが、SRKWブッダは解脱した翌日解脱知見を得たそうですので、その間は1日です。

私の場合は特殊な例かもしれませんが、2018年8月15日に解脱して、解脱知見を得たのは2019年1月15日でした。その間は5ヶ月でした。


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