SRKWブッダ著「仏道の真実++」【不可思議】(6)

(以下引用)

 ◇ 輪廻説の是非正否に修行者が翻弄されない

輪廻説が正しかろうが間違っていようが、それを認めていようが否定していようが、気にしていようがいまいが、立派な修行者は最終的にはニルヴァーナに到達する。これは一つの不可思議である。

誤解を生じないように説明を加えておくが、輪廻説を肯定している人が覚れないと主張するわけではない。事実、私(=SRKWブッダ)自身、修行時代においては輪廻説は一定の正しさを持つと考えていたからである。世に希有なる法の句は、諸仏の住み処たる法界を出自とすると推認されるが、これを実体のあるものと考えるにはブッダの死後の法界への転生を前提としなければなるまい。他方、衆生は輪廻してまたこの世に戻ってくるのであろう。私はそのように考え、これらを為す根拠としての輪廻説を肯定していた。そして、その立場で修行を進めた結果、こうして慧解脱してブッダとなることを得たのである。

さらに、細君は世を厭う気持ちを定めて身解脱(形態(rupa)の解脱)を果たしたが、これは来世に法界に転生することを夢想した結果でもあった。つまり、この場合も輪廻説を肯定した立場での解脱だったわけである。(注記:細君は、現在は慧解脱してブッダとなっている。)

また、別の弟子は、輪廻について明確な立場を採らず保留した状態で法の句を聞き、作仏することを得ている。これは、輪廻説の是非とは無関係に覚り(=解脱)を生じた一例となるであろう。

ところで、私は覚った後にもう一度輪廻について考験し、最終的には輪廻説を否定する立場に行き着いた。これは、私の個人的な経験に現代の科学的な知見を総合して帰納した結論である。現在は、この立場を表明している。

総括すれば、覚りを目指して道を歩む修行者は、輪廻説に何ら拘る必要はないと言えるであろう。要するに、輪廻説について肯定的、否定的、明確な立場を保留、その他どのような立場を採ろうとも、そのこととは無関係に覚りの是非可否はあると言えるからである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

私の輪廻説の考え方の変遷について、簡単に述べてみます。

若い頃、40代後半までは輪廻説は漠然と迷信であると思っていました。

40代後半から、道元の正法現蔵を学び初めて、彼も輪廻説をは否定していることがわかりました。(しかし、晩年は輪廻説を肯定していたようです。)

50代後半にテーラワーダ仏教を学び始めて、輪廻説は正しいと考えるようになりました。

60代後半に、SRKWブッダの言説に出会い、SRKWブッダの教えに従って修行し、輪廻説は正しいと信じたまま、慧解脱を果たしました。

2020年3月、SRKWブッダは「ブッダの世界観」を出版され、その中で「古典的輪廻説」の否定し、「輪廻説の取り下げ」「寂滅論の提起」を発表されました。

これを読んだ時、私はある種の衝撃がありましが、すぐその見解について考察し、それが納得できるものととなりました。

しかし、それはSRKWブッダの根拠とすこし、異なるものかもしれません。

にも関わらず、「輪廻説が正しかろうが間違っていようが、それを認めていようが否定していようが、気にしていようがいまいが、立派な修行者は最終的にはニルヴァーナに到達する。これは一つの不可思議である。」ことは間違いありません。



この記事へのコメント

hal
2020年12月29日 19:13
一切の 苦しみから 解き放たれて

みな ただち に

いま ここ に

やすらか に なれば

それ で いい