「無分別智(その19)」

SRKWブッダのホームページの理法「無分別智」」の引用、その19。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou029.htm


[努力の結果ではない]

無分別智は、世間的な努力やいわゆる修行・鍛錬の結果得られるものではありません。 

無分別智は、努力無しに生じたものであると(知る人は、それを目撃した人は)知るからです。


*法津如来のコメント

また、先日の知人から「(あなたのブログは)やっぱりさっぱりわからない。」と言われてしまいました。

彼は、私が何を書いているのか興味があるだけで、無分別智について特別興味があるわけではないからやむを得ないのでしょう。

このブログは「覚りの境地」を目指す方でないと、読んでもあまり意味がないのでしょう。

私は「覚りの境地」を目指す人を増やそうと意図しているわけでもありません。
ただ、「覚りの境地」を目指す人(修行者)が、誤解をしないでほしいと願っているのです。

さて、無分別智によって覚りの境地に至るのでの、修行者にとって無分別智は重要な課題なのです。

ですから、正しい修行者は努力して無分別智(法の句)を得ようとするはずです。

しかし、法の句を聞くことは、法の句を発する人と遭遇しなければできないことですから、
これは努力してできることではないのです。

そのような縁に回り会わなければできないのです。

そのような縁は功徳を積むこと以外にはできません。

それとともに、人と争わない、やさしい人間になる、心をしずめるなどが大切です。


この記事へのコメント

才木広之
2021年03月30日 06:14
功徳を積むことは

自分だけ良ければ良いという自我に

生きとし生けるものが幸せでありますように行う、

という修行とも言えます
才木広之
2021年03月30日 06:20
自分の醜さを

生きとし生けるものが幸せでありますように行う事で

改善しよう

これを行う時の本人は

修行してる、というきもはなく

懺悔からの行いという感覚です

このままの自分では駄目だ

今のままの自分では駄目だ

と生きとし生けるものが幸せでありますように行う事が起きます
才木広之
2021年03月30日 06:47
https://76263383.at.webry.info/201007/article_7.html



いきなり法施は出来ません

ですから

https://76263383.at.webry.info/201608/article_5.html



この中からカラスに布施から始めてもよいし

ようするに今出来ることから始めたら

法に因縁で出会うし

それによって

法施もできます

生きとし生けるものが幸せでありますように、

自分に何が出来るか?

真の理解が

貴方に現れますように。

才木広之
2021年03月30日 07:10
田畑には

種というものがあってこそ

雨、太陽を受けたとき

実ります

全くの無欲の布施が種になる