仏教とカタカムナ

今日は仏教とカタカムナについて考えていました。

私にしてみれば、その根本はあまり変わりがないということです。

それならば、両方知らなくても、どちらかを知っていればそれでよいということになります。

その通りです。

どちらかを知れば、それで良いということです。

それらばかりではなく、何か一つわかれば、それでよいということになります。

ゴータマ・ブッダはそのことについて、ローヒタッサ(赤馬)経で述べられておられます。(南伝大蔵経12相応部経典1p104~106)

「我はこの一尋の有想の身体の上に、世界と世界の果の滅と世界の滅に到る道とを説示するなり。」ということが述べられています。

すなわち、一人の心身の中において、世界の全ての消滅をすがたを説明するのです。」と述べているのです。

カタカムナではそれを、

ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ

ソラニモロケセ ユヱヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ

で示しています。

この説明は後日にします。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント