無意識の世界と漸悟と頓悟

少し前から、ある友人と無意識の世界について、メールのやり取りをしています。

お互いにいろいろ共感する点が多いのですが、何かそのやり取りにちぐはぐなところがあるのです。

その違いが少しずつわかってきました。

無意識の世界に対する問題意識に違いがあるのでした。

彼は、心の傷の癒しに関心があったのです。

彼は、心の傷の癒しの延長上に覚りを考えているのでしょう。

私の関心は、もちろん、覚り(解脱)です。

解脱とは、名称(個人的無意識)や形態(集合的無意識)の消滅です。

これらが消滅した無意識もあります。

さて、彼が心の傷の癒しに関心があるのは、発達障害だと診断されてところにあるのかもしれません。

そういえば、このブログに度々コメントをしてくれる才木広之阿羅漢さんも、発達障害と診断されたようですね。

そのような方は、まず心の傷の癒しが必要です。

その上で、覚りに向かう修行になります。

上述の友人は、覚りについて、頓悟と漸悟の違いについてメールをしてくれましたが、

心の傷の癒しを含めて、覚りへの修行と考えているのかもしれません。

解脱は心の傷のない人に現れるものなので、覚りは頓悟と言えるのです。


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この記事へのコメント

ごとう
2021年10月21日 10:31
「心の傷の延長線上に、覚りがあるわけではない」ですか…
ドキッとしました。

(最近のテーマ)
・自分自身に裏切られないとは何か
・本当に自分が求めているのは何なのか

に通じる視点とも感じられました。
才木広之
2021年10月21日 17:31
法津如来こんばんは

皆さんこんばんは

才木広之です

自らの心の傷について書いてみたいと思います

他人や他の生き物を

楽しんで、殺したり、傷つけたり

そんな過去の経験は

自らの心の傷になります。

しかし、

他人から何かをされて

自らの心が傷つく事はありません

もう一度言えば

自らが、他を

楽しんで

傷つけたり、殺したりすれば

自らの心の傷になります

それこそ、無意識の領域で

無意識の領域から「ごめんなさい」

と反省が起きないと

無意識の悪から解脱は起きません

そねあたりを知れるチャンスが

ヴィパッサナー瞑想状態と言えるでしょう

無意識の悪に気づき、

無意識から「ごめんなさい」と反省が起き

無意識の悪から解脱します

業が尽きます

新しき悪業は作られません

無意識から生きとし生けるものが幸せでありますようにの人になります

ここを名付けるなら私なら阿羅漢と名付けますが

本当は名称など関係ない

ありのままの自分がありのままの自分です

俺のありのままを見て

なんとでも呼んでくれ

なんと呼ばれようが

ありのままの自分はありのままに

ここに存在するだけです

それが才木広之です

才木広之より