ダンマパダ182番

一昨日(10月12日)、ダンマパダ182番を引用しました。

「人間の身を受けることは難しい。

死すべき人々に寿命があるのも難しい。

正しい教えを聞くのも難しい。

もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」(中村元 訳)

私は過去にこの偈について、3回解説しました。

もろもろの仏は出現しがたい
https://76263383.at.webry.info/201003/article_23.html

人間に生まれることは稀なことブッダ出現は奇蹟のようだ
http://76263383.at.webry.info/200905/article_14.html

人間に生まれることは有り難い
http://76263383.at.webry.info/200806/article_10.html


しかし、それらは私が解脱して、ブッダ(如来)になる以前に書いたものです。

それらの解釈は、間違えとは言えないものですが、

本来のブッダの意図とは異なるものです。

ブッダの本意は後半の2行です。

3行目「正しい教えを聞くのも難しい。」とは、「法の句」を聞くのは難しいという意味です。

4行目「もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。」とは、そのために「法の句」聞いた修行者がブッダになることは難しいという意味です。

このことはゴータマ・ブッダの生存されたいた時の弟子たちには、当然理解されていたはずですが、

時を経て、意味が曖昧になったのでしょう。

このことを、法華経の方便品で次のように述べているのです。

「諸仏世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現したまう」

しかし、この指摘も法華経を学ぶ修行者にも理解されずにいました。

これを、六祖慧能が法華の持者法達に教えたことが「六祖壇教」で述べられています。
(タチバナ教養文庫「六祖壇教」235ページ)

しかし、この重要な教えを、現代の仏教修行者は忘れて、いや理解できずに、解脱できず、ブッダ(仏)になれずにいたのです。

慧能から約1300年経て、現代のブッダたるSRKWブッダがそのことを、自ら覚り、明らかにしてたのです。

その言説のおかげで、その後、法津如来、捗法如来、法風如来、石法如来、慈栄如来などが続々と世に出現したのです。

その意味で、SRKWブッダは偉大なのです。