石法如来の寄稿:歴史を学ぶ・・・本当は、何があったのか?(その2)
(引用続く)
ブリットはルーズベルトの命を受けて、ポーランド要人に対し決してヒトラーと妥協しないこと、戦争を起こせばアメリカが必ずポーランドを支援して参戦することを何度も念を押して回りました。
ポーランドにとっては、英仏による独立保障の約束だけでは最後までヒトラーとの妥協をできたかどうかは疑問です。
アメリカの支援の約束があったことが決定的に重要だったと言わざるを得ません。
もっともポーランドに歴史的に培われた反ドイツ感情があったことが、ヒトラーとの妥協のハードルを上げたことは否定出来ないでしょう。
このような反ドイツ感情が高まりポーランド回廊内のドイツ人が虐殺される事件が頻発したため、ヒトラーはドイツ人保護の観点からもポーランドに宣戦布告せざるを得ないまでに追い詰められたと言えます。
堪忍袋の緒が切れたヒトラーは、1939年9月1日にポーランドに侵攻しますが、2週間後には独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきソ連がポーランドに侵攻して東半分を占領しました。
英仏はポーランドとの独立保障との約束に基づきドイツに宣戦布告しますが、どういう訳かポーランドを侵略したソ連には宣戦布告しませんでした。
要するに、ポーランドはドイツとの戦争をするために駒として使われて、捨てられたというわけです。
戦後、ポーランドは共産政権が成立し冷戦終了までの約50年間、事実上国を失う羽目になったのです。もしポーランドがヒトラーと妥協していれば、第二次世界大戦はなく、当然冷戦もなかったでしょう。
米英に騙されたとはいえ、ポーランドの罪は重いと言わざるを得ません。」(以上、馬淵睦夫著『ディープステート(世界を操るのは誰か)』65~68頁引用)
私は、今回ロシアのウクライナ侵攻後、ウクライナの大統領ゼネンスキーの行動を動画で見て、「なんか出来すぎ」という印象を受けています。
彼は、逃げ出したくても側近に囲まれて逃げることも出来ず、結局役者を演じさせられているのではないでしようか?・・・アメリカに、「逃げるな!妥協するな!」と厳命されているのでしょう。
彼は、どこまで行っても役者でありアメリカの代理人です。そして、彼の役目はプーチンを「戦争におびき出し、先に銃を撃たせ、信用を失墜させ、袋だたきにして追い出す」・・・83年前、アメリカがポーランドを利用してヒトラーを抹殺したのと同じ手口です。
ロシアのプーチンが、ドイツのヒトラー同様の道を辿るのか、あるいはウクライナに巨大な利権を持つアメリカ(バイデンや、ジョージ・ソロス)が追い出されるのか?・・・ある意味見物です。
大きな戦争が起こる危険性があるのに、不謹慎と言えば不謹慎ですが欧米人の歴史というのは血に染まった戦いの歴史であり、ある意味当然の帰結と言えます。
仏教者は、彼の戦(いくさ)を見てこころ安らかなることを目指さねばいけません。争いは、果てしなく続きかつ無意味であり、苦しみ悲しみが永遠に癒やされることはありません。
(終わり)
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=Wfivc81O5rk
ウクライナ政府の超ヤバい裏話「ジョージソロスが作った政府」都市伝説ではなくウクライナの歴史
とゼレンスキーの正体
https://www.youtube.com/watch?v=0tCGB8lUoXQ
【第318回】プーチンが罠にはまった!?
*法津如来のコメント
今回で、石法如来の寄稿:「歴史を学ぶ・・・本当は、何があったのか?」は終わります。
今日はSRKWブッダの著書「覚りの境地(2019改定版)」130ページから引用します。
(以下引用)
観(=止観)
くり返し、人をやすらぎに導く手続き的な修行法などは実は何一つ存在していないと 書いた。実際そのとおりなのであるが、それだと何をどう修行してよいか分からない人 もあるだろう。そこで、一つの実践的な修行法をここに示そう。
この修行法は、” 観” と 呼ばれる方法である。
観は、言ってみれば思索を超えた思索であり、人をして覚りの境地に向かおうとするこ ころを培うのに役立つものである。そして、この観がまさしく完成しつつあるときに過 去にすでに一大事を経験していて、その遭遇した一大事を想起することにともない因縁 を生じたならばただちに解脱に至ると期待され得る方法である。
しかし、ここで留意すべきことがある。観は決して覚りの修行法そのものではないと いうことである。つまり、観を完成するだけで覚りの境地に至ることは無いからである。 しかしながら、分かり難いかも知れないが、正しい観によって培われた徳豊かな心はいわ ば覚りの前提であることは間違いないことである。
書道をたしなむ人々は名筆を臨書して励むと言う。臨書そのものが書道の修行法とい うわけではないが、それでも臨書することは書の勉強に役立つと言われる。それと同じ く、観は修行法そのものではないが覚りに向けた一定の意義が認められるということで ある。ある人は、観によって心解脱に到達する。
[観の環境と姿勢]
(略)
[観の対象]
観は、ある対象を心に想起してそれについて観じなければならない。このとき有益な 対象は、” 衆生 (苦にあえぐ人々)” である。すなわち、自分で架空設定した衆生の姿を観 じるのである。ここに現実目の前の衆生ではなく架空設定した” 衆生” を観じるのは、最 も悲惨な境遇にいる衆生、より純粋な衆生の姿を観じるためである。純粋な衆生は、余り にも悲惨な境遇にあって、かつ余りにも無知であるために自分自身が悲惨な境遇にいる ことさえ認識してはいない。たとえば重い病にかかった人が、自分が病気だとは認識し ない (病識がない) ようなものである。つまり、観の対象とは” 自分を救って欲しいなど とは夢にも思っていない衆生” である。そのような衆生を、如何にして救うかについて観じるのが覚りに向けた観の本質である。
(以下略)
(以上引用)
ブリットはルーズベルトの命を受けて、ポーランド要人に対し決してヒトラーと妥協しないこと、戦争を起こせばアメリカが必ずポーランドを支援して参戦することを何度も念を押して回りました。
ポーランドにとっては、英仏による独立保障の約束だけでは最後までヒトラーとの妥協をできたかどうかは疑問です。
アメリカの支援の約束があったことが決定的に重要だったと言わざるを得ません。
もっともポーランドに歴史的に培われた反ドイツ感情があったことが、ヒトラーとの妥協のハードルを上げたことは否定出来ないでしょう。
このような反ドイツ感情が高まりポーランド回廊内のドイツ人が虐殺される事件が頻発したため、ヒトラーはドイツ人保護の観点からもポーランドに宣戦布告せざるを得ないまでに追い詰められたと言えます。
堪忍袋の緒が切れたヒトラーは、1939年9月1日にポーランドに侵攻しますが、2週間後には独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきソ連がポーランドに侵攻して東半分を占領しました。
英仏はポーランドとの独立保障との約束に基づきドイツに宣戦布告しますが、どういう訳かポーランドを侵略したソ連には宣戦布告しませんでした。
要するに、ポーランドはドイツとの戦争をするために駒として使われて、捨てられたというわけです。
戦後、ポーランドは共産政権が成立し冷戦終了までの約50年間、事実上国を失う羽目になったのです。もしポーランドがヒトラーと妥協していれば、第二次世界大戦はなく、当然冷戦もなかったでしょう。
米英に騙されたとはいえ、ポーランドの罪は重いと言わざるを得ません。」(以上、馬淵睦夫著『ディープステート(世界を操るのは誰か)』65~68頁引用)
私は、今回ロシアのウクライナ侵攻後、ウクライナの大統領ゼネンスキーの行動を動画で見て、「なんか出来すぎ」という印象を受けています。
彼は、逃げ出したくても側近に囲まれて逃げることも出来ず、結局役者を演じさせられているのではないでしようか?・・・アメリカに、「逃げるな!妥協するな!」と厳命されているのでしょう。
彼は、どこまで行っても役者でありアメリカの代理人です。そして、彼の役目はプーチンを「戦争におびき出し、先に銃を撃たせ、信用を失墜させ、袋だたきにして追い出す」・・・83年前、アメリカがポーランドを利用してヒトラーを抹殺したのと同じ手口です。
ロシアのプーチンが、ドイツのヒトラー同様の道を辿るのか、あるいはウクライナに巨大な利権を持つアメリカ(バイデンや、ジョージ・ソロス)が追い出されるのか?・・・ある意味見物です。
大きな戦争が起こる危険性があるのに、不謹慎と言えば不謹慎ですが欧米人の歴史というのは血に染まった戦いの歴史であり、ある意味当然の帰結と言えます。
仏教者は、彼の戦(いくさ)を見てこころ安らかなることを目指さねばいけません。争いは、果てしなく続きかつ無意味であり、苦しみ悲しみが永遠に癒やされることはありません。
(終わり)
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=Wfivc81O5rk
ウクライナ政府の超ヤバい裏話「ジョージソロスが作った政府」都市伝説ではなくウクライナの歴史
とゼレンスキーの正体
https://www.youtube.com/watch?v=0tCGB8lUoXQ
【第318回】プーチンが罠にはまった!?
*法津如来のコメント
今回で、石法如来の寄稿:「歴史を学ぶ・・・本当は、何があったのか?」は終わります。
今日はSRKWブッダの著書「覚りの境地(2019改定版)」130ページから引用します。
(以下引用)
観(=止観)
くり返し、人をやすらぎに導く手続き的な修行法などは実は何一つ存在していないと 書いた。実際そのとおりなのであるが、それだと何をどう修行してよいか分からない人 もあるだろう。そこで、一つの実践的な修行法をここに示そう。
この修行法は、” 観” と 呼ばれる方法である。
観は、言ってみれば思索を超えた思索であり、人をして覚りの境地に向かおうとするこ ころを培うのに役立つものである。そして、この観がまさしく完成しつつあるときに過 去にすでに一大事を経験していて、その遭遇した一大事を想起することにともない因縁 を生じたならばただちに解脱に至ると期待され得る方法である。
しかし、ここで留意すべきことがある。観は決して覚りの修行法そのものではないと いうことである。つまり、観を完成するだけで覚りの境地に至ることは無いからである。 しかしながら、分かり難いかも知れないが、正しい観によって培われた徳豊かな心はいわ ば覚りの前提であることは間違いないことである。
書道をたしなむ人々は名筆を臨書して励むと言う。臨書そのものが書道の修行法とい うわけではないが、それでも臨書することは書の勉強に役立つと言われる。それと同じ く、観は修行法そのものではないが覚りに向けた一定の意義が認められるということで ある。ある人は、観によって心解脱に到達する。
[観の環境と姿勢]
(略)
[観の対象]
観は、ある対象を心に想起してそれについて観じなければならない。このとき有益な 対象は、” 衆生 (苦にあえぐ人々)” である。すなわち、自分で架空設定した衆生の姿を観 じるのである。ここに現実目の前の衆生ではなく架空設定した” 衆生” を観じるのは、最 も悲惨な境遇にいる衆生、より純粋な衆生の姿を観じるためである。純粋な衆生は、余り にも悲惨な境遇にあって、かつ余りにも無知であるために自分自身が悲惨な境遇にいる ことさえ認識してはいない。たとえば重い病にかかった人が、自分が病気だとは認識し ない (病識がない) ようなものである。つまり、観の対象とは” 自分を救って欲しいなど とは夢にも思っていない衆生” である。そのような衆生を、如何にして救うかについて観じるのが覚りに向けた観の本質である。
(以下略)
(以上引用)
この記事へのコメント
御早う御座います
生きとし生けるものが幸せでありますように
なぜなら
他の命を奪い自分のものにするのが生きることだからです
他の命を奪い自分のものにすることを正当化出来ません
愚か者が私達なのです
もしも愚か者が自ら愚かであることを知るならば、 その人はすなわち賢者である。 愚か者でありながら自ら賢者だと思う人こそ、 愚か者だといわれる。
ゴータマ・ブッダ
ダンマパダ63
と言いつつ
自分は他の命を奪い生きてる
我々は愚か者なのです
もう二度と母胎に宿ることはありません
しかし
このことを素直に受け入れられず怒るなら
貴方はまた
母胎に宿ります
他の命も奪ってはいけないんです
しかし
他の命を奪うなら
自分の命が奪われることを覚悟しなければなりません
では、何が悪夢か?
輪廻転生が悪夢なんです
解脱し輪廻転生しないなら
この生涯が終わることは幸せなんです
悟らないで死んだら
輪廻転生します
しかし
悟ったなら(怒りなく素直に受け入れたなら)輪廻しません
だから
生きてる内に
悟り、輪廻から解脱するべきなんです
他の命は奪って生きるよ
は成り立たない話しなんです
愚か者の話しなんです
つまり
我々は愚か者なんです
愚か者の私達ですが
愚か者は生きてはいけないという法律はありません
愚か者は死ななくてはいけないという法律もありません
しかし
まさか
輪廻転生する必要はないんです
死んでもまた
愚か者として生きたい
そんな気持ちはないんです
気持ちがないんだから
輪廻転生する筈がないんです
これは真理です
これを悟れば
輪廻転生することはありません
この生涯で最後です
この真理を悟らず
この真理に対し怒り
頑固に
自分が生きることは正しいと言うものは
真理を知らないまま
無明において
輪廻転生を
愚か者として繰り返すでしょう
物事を素直に怒りなく受け入れられない
このことが無明であり真の愚か者であると言えます
今後共何卒宜しく御願い申し上げます
生きとし生けるものが幸せでありますように