現代科学とカタカムナ人の物の観方・考え方の相違
今日は戦争の話から話題を変えます。
数日前に配信された次の動画の内容です。
現代科学とカタカムナ人の物の観方・考え方の相違
https://www.youtube.com/watch?v=jACzg-WEBTk
(以下引用)
みなさん、こんにちは天野成美です。
今日は現代科学とカタカムナ人の物の観方・考え方の相違点についてお話したいと思います。
カタカムナ文字とヒビキの研究は、我々日本民族の遠い先祖と考えられるカタカムナの上古代人の
直観の<サトリ>を多角度から吟味し、検討を行ってきました。
そして、彼らの示して居る「自然サの物」相似た型ー相似象ーのある事をにつけ、それに拠って統一的に把握されたものである事を知り、これを「カタカムナの直観物理」と称することにしました。
これに対し、現代科学の統一原理とか原則とかは、言うまでもなく、「物理」を対象とし、無生物世界の現象を説明した理論であり、一般に、機械論的とか形式論理的と言われる「物理法則」です。
現代科学を信頼する人々の多くは、その物理法則に拠って、生命世界の現象をも説明しています。
なぜならそれが、どこが、どう間違っているか?という事を、明確に指摘するに足る資料が十分でないのでそれらは少数意見に止まっているのです。
そこで、参考にため、上古代人の直観のサトリと、現代科学人一般の物の観方・考え方の相違点について、
概括的な特徴を考察することにしました。
現代人の科学的な考え方(時間・空間量、エネルギーと物質、熱力学法則などについて)
現代人一般は、すべての現象は、「非可逆性」のものである、と決めて居ます。
そして全宇宙現象の始元量(元)を、「時間量と空間量の二元」で扱い、いづれの元も、「一方的に拡がる性質の物理量」であると観て居ます。
即ち、時間の概念は、「未来から過去へ」一方的にタテに経過する性質(未来の時間がやがて現在になり、過去になる)だけであって、過去から未来」に反転する時間量を認めとしない。
空間量も一方的に無限遠に拡がる「正」の性質だけであって、縮小方向に進む「反」の空間量の存在を認めようとしない。
そして、時間・空間という二つの「元」から成り立つ基本的な「次元」量を、「エネルギー」と「物質」として扱って居るのです。
つまり宇宙は、それぞれの集合に応じて、非可逆性の経過をもつ現象であり、熱力学の法則に従う、と言う考え方です。
熱力学の第一法則は、「エネルギーの恒常性」である(一般には、物質不滅の法則として知られて居るが、熱力学に於ては、エネルギーの恒常性に集約して居る)
つまり、エネルギーは、光熱、電気、運動、位置等の様々のエネルギーに変換しているが、エネルギーとしては恒存する(つねに存在する)という意味なのです。
第二の法則は「エントロピー増大」即ち、すべての現象は秩序あるところから、無秩序の状態に進展し、
その秩序は再び戻らないという法則です。
つまり全宇宙は、「エントロピー増大」に進み、その究極は、熱の拡散的均一化に因って「熱的死」の状態に到達し、すべての生物も、このエントロピー増大の原理に従って死滅する、という観方です。
それでは、カタカムナのサトリの考え方の基本的特徴である、「現象」と「潜象」の「無限循環」の「可逆性」、 潜象の把握についてお話します。
このように全宇宙の現象が一回限りの経過、即ち非可逆性のものであるという現代科学の見方に対し、
カタカムナのサトリの基本的特徴は、「現象」は、現象背後の「潜象」と重なり、「無限循環」の「可逆性」のものであるという直観です。
言いかえれば、「現象」は旋転的に短期回路を可逆しながら、潜象として、長期的回路の循環可逆を重ねて行って居る(マワリテメグル)という観方です。
そして、たとえば、地球が自転しながら公転して居る現象も、又、我々の肉体が刻々に新陳代謝しながら生命を維持して居る現象も、更に、精神現象み、すべて、この物理(コトワリ)の相似パターンとして把握していることです。
従ってカタカムナの上古代人は、時空量を現代科学の見解のように、一切の現象に対するハジマリの量、「元」とはみていません。
時空量にあたる上古代語はトキトコロの「マリ」であり、カタカムナ人は時空量よりももっと元に全宇宙の緒現象のハジマリの元、始元量のあることを直観して、それを「アマ」と称しています。
すなわち科学で捉えている時空量をはじめ、全宇宙の一切の諸現象は、このアマの「微球」すなわちトキトコロの「マリ」の変遷したものであるというサトリなのです。
今日はここまでです。
(以上引用)
やはり少し難しいでので、少し解説すれば、
現代科学では、時間と空間は別のものであり、非可逆的なものと考えていますが、
カタカムナ人は、実はそうではないのだと言っています。
時間も空間も一つのものから生まれ、一つのものとして存在している。
時間と空間は切り離せないと言っています。
時間は空間なしには存在しないし、空間があれば時間があるのだと。
しかも、時間と空間は行ってしまうだけでなく、時間と空間は帰ってくるのだ言っています。
例えば、水が雨と成って降って来ますが、それはまた蒸発して雲になり雨となり、
降ってくるようなものなのです。
すべてものはそのように成っているのです。
数日前に配信された次の動画の内容です。
現代科学とカタカムナ人の物の観方・考え方の相違
https://www.youtube.com/watch?v=jACzg-WEBTk
(以下引用)
みなさん、こんにちは天野成美です。
今日は現代科学とカタカムナ人の物の観方・考え方の相違点についてお話したいと思います。
カタカムナ文字とヒビキの研究は、我々日本民族の遠い先祖と考えられるカタカムナの上古代人の
直観の<サトリ>を多角度から吟味し、検討を行ってきました。
そして、彼らの示して居る「自然サの物」相似た型ー相似象ーのある事をにつけ、それに拠って統一的に把握されたものである事を知り、これを「カタカムナの直観物理」と称することにしました。
これに対し、現代科学の統一原理とか原則とかは、言うまでもなく、「物理」を対象とし、無生物世界の現象を説明した理論であり、一般に、機械論的とか形式論理的と言われる「物理法則」です。
現代科学を信頼する人々の多くは、その物理法則に拠って、生命世界の現象をも説明しています。
なぜならそれが、どこが、どう間違っているか?という事を、明確に指摘するに足る資料が十分でないのでそれらは少数意見に止まっているのです。
そこで、参考にため、上古代人の直観のサトリと、現代科学人一般の物の観方・考え方の相違点について、
概括的な特徴を考察することにしました。
現代人の科学的な考え方(時間・空間量、エネルギーと物質、熱力学法則などについて)
現代人一般は、すべての現象は、「非可逆性」のものである、と決めて居ます。
そして全宇宙現象の始元量(元)を、「時間量と空間量の二元」で扱い、いづれの元も、「一方的に拡がる性質の物理量」であると観て居ます。
即ち、時間の概念は、「未来から過去へ」一方的にタテに経過する性質(未来の時間がやがて現在になり、過去になる)だけであって、過去から未来」に反転する時間量を認めとしない。
空間量も一方的に無限遠に拡がる「正」の性質だけであって、縮小方向に進む「反」の空間量の存在を認めようとしない。
そして、時間・空間という二つの「元」から成り立つ基本的な「次元」量を、「エネルギー」と「物質」として扱って居るのです。
つまり宇宙は、それぞれの集合に応じて、非可逆性の経過をもつ現象であり、熱力学の法則に従う、と言う考え方です。
熱力学の第一法則は、「エネルギーの恒常性」である(一般には、物質不滅の法則として知られて居るが、熱力学に於ては、エネルギーの恒常性に集約して居る)
つまり、エネルギーは、光熱、電気、運動、位置等の様々のエネルギーに変換しているが、エネルギーとしては恒存する(つねに存在する)という意味なのです。
第二の法則は「エントロピー増大」即ち、すべての現象は秩序あるところから、無秩序の状態に進展し、
その秩序は再び戻らないという法則です。
つまり全宇宙は、「エントロピー増大」に進み、その究極は、熱の拡散的均一化に因って「熱的死」の状態に到達し、すべての生物も、このエントロピー増大の原理に従って死滅する、という観方です。
それでは、カタカムナのサトリの考え方の基本的特徴である、「現象」と「潜象」の「無限循環」の「可逆性」、 潜象の把握についてお話します。
このように全宇宙の現象が一回限りの経過、即ち非可逆性のものであるという現代科学の見方に対し、
カタカムナのサトリの基本的特徴は、「現象」は、現象背後の「潜象」と重なり、「無限循環」の「可逆性」のものであるという直観です。
言いかえれば、「現象」は旋転的に短期回路を可逆しながら、潜象として、長期的回路の循環可逆を重ねて行って居る(マワリテメグル)という観方です。
そして、たとえば、地球が自転しながら公転して居る現象も、又、我々の肉体が刻々に新陳代謝しながら生命を維持して居る現象も、更に、精神現象み、すべて、この物理(コトワリ)の相似パターンとして把握していることです。
従ってカタカムナの上古代人は、時空量を現代科学の見解のように、一切の現象に対するハジマリの量、「元」とはみていません。
時空量にあたる上古代語はトキトコロの「マリ」であり、カタカムナ人は時空量よりももっと元に全宇宙の緒現象のハジマリの元、始元量のあることを直観して、それを「アマ」と称しています。
すなわち科学で捉えている時空量をはじめ、全宇宙の一切の諸現象は、このアマの「微球」すなわちトキトコロの「マリ」の変遷したものであるというサトリなのです。
今日はここまでです。
(以上引用)
やはり少し難しいでので、少し解説すれば、
現代科学では、時間と空間は別のものであり、非可逆的なものと考えていますが、
カタカムナ人は、実はそうではないのだと言っています。
時間も空間も一つのものから生まれ、一つのものとして存在している。
時間と空間は切り離せないと言っています。
時間は空間なしには存在しないし、空間があれば時間があるのだと。
しかも、時間と空間は行ってしまうだけでなく、時間と空間は帰ってくるのだ言っています。
例えば、水が雨と成って降って来ますが、それはまた蒸発して雲になり雨となり、
降ってくるようなものなのです。
すべてものはそのように成っているのです。
この記事へのコメント
悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。
ダンマパダ 71
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。
ダンマパダ 1
愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。
ダンマパダ 69
ことを
今、目の前の自分が行った
ことから
解脱した
今、目の前の自分が涅槃した
と
輪廻からの解脱と
涅槃
生まれ変わって
この世に生まれ
生きている
あなたが
死んで
また
生まれ変わることを
輪廻転生
と言います
輪廻転生から解脱し
解脱の境地も滅すると
涅槃です
シュワルツェネッガーさん「無意味な戦争の犠牲に」 ロシア国民へ動画 | 毎日新聞
https://noritsu.seesaa.net/article/202203article_21.html