SRKWブッダ著「仏道の真実++」【寂滅論】(2)

(以下引用)

【寂滅論】(2)

この寂滅論で言いたいことは、覚らない限りこの世を真に生きたことにはならないということである。

また、衆生がどんなに偉大な功績を挙げたところで死後は名が残るに過ぎないということである。

それに対して、覚った人は死後もミームの形で世に長く存在することを得る。

すなわち、あるブッダが書いた経典が残ってさえいれば、対機の説法としてはそのブッダが死後も生きているのと変わらない様態を示すことができる。

何となれば、経典にはそのブッダの世界観が明記され、また方便の説が散りばめられており、それを読んだ後世の修行者はその教えの根本についていつでも知ることができるからである。

すなわち、人はこの世にただ生まれ、生きて、死んでいくだけの存在とは限らず、死後も本人が生きているのと違わない形で世に存在し得るということである。

慧解脱者は、このようにして寂滅を楽と為すのである。

(以上引用)


*法津如来のコメント

仏教で言われた輪廻論の目的は、輪廻を信じていたインドの民衆の風俗にあまり逆らわずに、正しい生き方を示し、覚りへの道を教えることであったのです。

しかし、輪廻を信じていない人々が増えている現代においては、もう少し合理的な輪廻にたいする理解が必要になっています。そこで現れたのが寂滅論です。

そもそも、なぜ輪廻が繰り返されると言われたか?

それは、死ぬ前に思い残すということがあるからだと言われました。

寂滅論では、合理的な理解で輪廻論でなく、「覚らない限りこの世を真に生きたことにはならない」ことを示すことです。

悪行為をした人は良心に恥じて後悔することがあるでしょう。

夢や目的を果たせずに死を迎える人には思い残すことがあるでしょう。

しかし、解脱した人は人生の真の意味を知り、思い残すことがなく完全に満足しているのです。

ですから、いつ死んでもいいと思っていますし、日々が楽しいのです。

また、「覚った人は死後もミームの形で世に長く存在することを得る。」と引用文に述べられていますが、

ミームがわからなくとも、覚った人の意識は言葉の世界に生きていることは明らかです。

今でも、諸仏の言葉とともに、諸仏の意識は私たちと共に生きています。

ついでに述べれば、法界とは言葉の世界にあると容易に考えられます。


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