火の神へ 百年供養 するよりも 克己の人への 一回が優る(107)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヨー チャ  ワッササタン  ジャントゥ
Yo   ca   vassasataṃ   jantu,
彼が  又  百年間     人が

アッギン  パリチャレー  ワネー
aggiṃ     paricare     vane;
火神に   奉仕する    森で

エーカンチャ    バーウィタッターナン
Ekañca        bhāvitattānaṃ,
一人を しかし   修した者 自己を

ムフッタマピ   プージャイェー
muhuttamapi   pūjaye;
寸時でも     供養するならば

サーイェーワ   プージャナー  セッヨー
Sāyeva       pūjanā      seyyo,
それはまさしく  供養は     より優る

ヤンチェー    ワッササタン  フタン
yañce       vassasataṃ    hutaṃ.
それは より  百年の      供犠


○直訳
また、百年間 
森で火神に奉仕する彼が
自己を修した一人を
寸時でも供養するならば
それはまさしく、その供養は
百年の供養より優れている


○一口メモ
この詩も昨日の詩と同様の趣旨のものです。

この詩の因縁物語も同様です。
サーリプッタ長老は甥のバラモンに「何か善いことをしていますか?」とたずねました。
「毎月、火の神にヤギを生け贄として捧げています。」と甥のバラモンは答えました。
「何のためにそのようなことをしているのですか?」
「これが梵天界への道だからです。」
「誰がそう言ったのですか?」
「私の先生です。」
「残念ながら、あなたもあなたの先生も梵天界への道を知らないのです。ブッダだけが知っておられます。」とサーリプッタ長老は答え、甥のバラモンをブッダに引き合わせました。
ブッダは「百年、火の神に生け贄を捧げるよりも、自己を修した一人を寸時でも供養するならば、その供養はより優れている。」と述べました。

この詩でより明確になったことがあります。それは、人間の悩み苦しみをなくし、幸福に導く道(方法)間違えないことがいかに大切かということです。

現代日本人にとって、火の神にヤギなどの生け贄を捧げることが、ばかげたことだと分かる人は多いと思いますが、現代的にアレンジされた占いやその他の方法や修行方法で、苦しみをなくし、幸福をつかめると信じてしまう人々は意外に多いのです。

ここではブッダは「自己を修した一人を寸時でも供養する」ことで、彼から自己を修する方法を学び、実践することを推薦しています。しかし、この場合でも、97番の詩の解説で述べた「カーラーマ経」にあるように「盲信しないで、自ら確かめる。」ことが幸福になるためには必要なことです。


「火の神へ 百年供養 するよりも 克己の人への 一回が優る」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_18.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_22.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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