悪行は 自己の責任 悪行を しないのならば 自己は清らか(165)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

欲張ると心が汚れます
いじわるすると心が汚れます
怠けると心が汚れます
心の汚れはお母さんでも洗えない
自分自身で洗わなければ
心の汚い人になりますよ


○パーリ語原文と訳語

アッタナーワ  カタン  パーパン
Attanāva    kataṃ   pāpaṃ,
自ら まさに  為した   悪が

アッタナー   サンキリッサティ
attanā     saṃkilissati;
自ら      汚す

アッタナー  アカタン  パーパン
Attanā    akataṃ   pāpaṃ,
自ら     為さない  悪は

アッタナーワ  ウィスッジャティ
attanāva     visujjhati;
自ら まさに   清まる

スッディー  アスッディ  パッチャッタン
Suddhī    asuddhi    paccattaṃ,
浄化     非浄化は   各自の(こと)
  
ナンニョー  アンニャン  ウィソーダイェー
nāñño     aññaṃ    visodhaye.
ない 他が  他を     清め得


○直訳
まさに自ら為した悪が
自ら汚す
自ら為さない悪は
まさに自ら清まる
浄化、非浄化は各自の(こと)
他が他を清め得ない


○一口メモ
私がスリランカに行って、スリランカ人に一番多く聞かれたことは「テーラワーダ仏教と大乗仏教の違いは何ですか?」と言うことでした。日本人は大乗仏教についてもよく知らないにで、テーラワーダ仏教との違いについて質問しません。

宗教の本質は「人間の苦しみをなくす方法」だと思います。
多くの宗教は、神などに救済してもらうと言う救済宗教です。
唯一、仏教だけが自分の力で自分の苦しみをなくすことを教える自助の宗教なのです。
(ですから、仏教は宗教ではないとも言えますが、「人間の苦しみをなくす方法」を教えるものなので、宗教と言ってもよいと思います。)

本来の仏教は上に述べたように自助宗教なのですが、ある時、救済宗教の影響を受けた救済仏教が現れました。それが大乗仏教です。ただし、禅仏教は救済仏教ではないと思いますが、禅仏教の人々は自分たちも大乗仏教だとなぜか名のっています。大乗仏教と名のらないと小乗仏教だと馬鹿にされると思っているのでしょうか。

この主張を根拠付けるブッダの言葉が今回の詩なのです。
「まさに自ら為した悪が自ら汚す」、自分の悪行為で自分が汚れる。その汚れが苦しみの原因なのです。
「浄化、非浄化は各自のこと、他が他を清め得ない」、自分の汚れを清めるか清めないかは各自の行為なのです。自分の汚れ(苦しみの原因)を他の人によって取り除くことはできないのだと言う考え方です。これが仏教の考え方なのです。
仏教は自分の苦しみを自分で取り除く方法を教えるのです。

もう一つ、ダンマパダの276番を紹介します。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_28.html

汝らはなすべきことを熱く為せ
仏陀は教示するだけだ
八正道を歩む冥想者
悪魔の束縛から解脱するだろう


悪行は 自己の責任 悪行を しないのならば 自己は清らか


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_28.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_7.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーをクリックして下さい。
記事内容の改善の参考にしたいと思っています。

"悪行は 自己の責任 悪行を しないのならば 自己は清らか(165)" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント