好き嫌い ない人間は 苦悩ない 私は彼を バラモンと呼ぶ(385)
○子供のためのダンマパダ。
・・・
食べ物の好き嫌いなくせば、
元気な身体ができますよ。
友だちの好き嫌いをなくすと、
立派なこころができますよ。
○パーリ語原文と訳語
ヤッサ パーラン アパーラン ワー
Yassa pāraṃ apāraṃ vā,
その人の 彼岸も 此岸も また
パーラーパーラン ナ ウィッジャティ
pārāpāraṃ na vijjati;
彼岸此岸も ない 存在し
ウィータッダラン ウィサンユッタン
Vītaddaraṃ visaṃyuttaṃ,
苦悩から離れ 束縛から離れた
タマハン ブルーミ ブラーフマナン
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと
○直訳
その人の彼岸も此岸もまた
彼岸此岸も存在しない
苦悩から離れた、束縛から離れた
彼を私はバラモンと呼ぶ
○意訳
彼岸も此岸もまた
彼岸此岸のない彼に
苦悩と束縛はない
彼を私はバラモン呼ぶ
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年11月
*彼・此岸のない彼には苦悩ない私は彼をバラモンと呼ぶ
http://76263383.at.webry.info/200811/article_21.html
2009年9月
*好き嫌いない人間は苦悩ない私は彼をバラモンと呼ぶ(385)
http://76263383.at.webry.info/200909/article_27.html
○一口メモ
ある日、悪魔が人間の姿になり、ブッダに近づき質問しました。「尊師よ、彼岸、彼岸と言いますが、彼岸とは何でしょうか?」と。ブッダはこの者は悪魔であるとお知りになり、「愚かな者よ、そなたに彼岸が何になりますか。彼岸は無欲の者たちによってのみ得られるものだからです。」と言われこの詩を述べました。この説法を聞いて多くの者が預流果を得たということです。この場の彼岸の意味は涅槃という意味です。
しかし、今回の詩での彼岸と此岸及び彼岸此岸は少し意味がことなります。
この詩の彼岸は感覚の対象を意味しています。具体的には形、音、香り、味、触、法(思考・感情・意思など)です。
この詩の此岸の意味は眼、耳、鼻、舌、皮膚、意(心の感覚器官)です。
「彼岸も此岸もあるいは彼岸此岸のない彼に」の意味を分解して考えると次の通りです。「感覚の対象がない」とは感覚の対象に執着しないということです。「感覚がない」とは、
感覚に執着しないことです。感覚に執着しないとは、感覚には苦、楽、苦でも楽でもないとありますが、苦にも楽にも不苦不楽に執着しないことです。「彼岸此岸のない」とは、感覚の対象にも感覚にもどちらにも執着がないのですから、涅槃の境地を指していると言えます。
そのような訳で、そのような人は悩みも束縛もありませんから、阿羅漢です。ですからそのような人は最高の人間であるバラモンなのです。
好き嫌い ない人間は 苦悩ない 私は彼を バラモンと呼ぶ(385)
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~お知らせ~~~~~
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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食べ物の好き嫌いなくせば、
元気な身体ができますよ。
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立派なこころができますよ。
○パーリ語原文と訳語
ヤッサ パーラン アパーラン ワー
Yassa pāraṃ apāraṃ vā,
その人の 彼岸も 此岸も また
パーラーパーラン ナ ウィッジャティ
pārāpāraṃ na vijjati;
彼岸此岸も ない 存在し
ウィータッダラン ウィサンユッタン
Vītaddaraṃ visaṃyuttaṃ,
苦悩から離れ 束縛から離れた
タマハン ブルーミ ブラーフマナン
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと
○直訳
その人の彼岸も此岸もまた
彼岸此岸も存在しない
苦悩から離れた、束縛から離れた
彼を私はバラモンと呼ぶ
○意訳
彼岸も此岸もまた
彼岸此岸のない彼に
苦悩と束縛はない
彼を私はバラモン呼ぶ
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年11月
*彼・此岸のない彼には苦悩ない私は彼をバラモンと呼ぶ
http://76263383.at.webry.info/200811/article_21.html
2009年9月
*好き嫌いない人間は苦悩ない私は彼をバラモンと呼ぶ(385)
http://76263383.at.webry.info/200909/article_27.html
○一口メモ
ある日、悪魔が人間の姿になり、ブッダに近づき質問しました。「尊師よ、彼岸、彼岸と言いますが、彼岸とは何でしょうか?」と。ブッダはこの者は悪魔であるとお知りになり、「愚かな者よ、そなたに彼岸が何になりますか。彼岸は無欲の者たちによってのみ得られるものだからです。」と言われこの詩を述べました。この説法を聞いて多くの者が預流果を得たということです。この場の彼岸の意味は涅槃という意味です。
しかし、今回の詩での彼岸と此岸及び彼岸此岸は少し意味がことなります。
この詩の彼岸は感覚の対象を意味しています。具体的には形、音、香り、味、触、法(思考・感情・意思など)です。
この詩の此岸の意味は眼、耳、鼻、舌、皮膚、意(心の感覚器官)です。
「彼岸も此岸もあるいは彼岸此岸のない彼に」の意味を分解して考えると次の通りです。「感覚の対象がない」とは感覚の対象に執着しないということです。「感覚がない」とは、
感覚に執着しないことです。感覚に執着しないとは、感覚には苦、楽、苦でも楽でもないとありますが、苦にも楽にも不苦不楽に執着しないことです。「彼岸此岸のない」とは、感覚の対象にも感覚にもどちらにも執着がないのですから、涅槃の境地を指していると言えます。
そのような訳で、そのような人は悩みも束縛もありませんから、阿羅漢です。ですからそのような人は最高の人間であるバラモンなのです。
好き嫌い ない人間は 苦悩ない 私は彼を バラモンと呼ぶ(385)
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
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朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
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