放逸は 気づかぬことで できたごみ 気づきによって 自己の矢を抜け<334>
○少年少女のためのスッタニパータ334.
・・・
部屋を見れば心が分かる。
部屋を見て自分の心を知ろう。
汚れていないかどうか。
スッタニパータ334. 第2 小さな章 10.奮起経 4.
○中村元先生訳
334
怠りは塵垢である。
怠りによって塵垢がつもる。
つとめはげむことによって、また明知によって、
自分にささった矢を抜け。
○正田大観先生訳
337.(334)
怠ること(放逸)は、塵である。
怠ることは、〔気づきを〕怠ることから生み落とされた塵である。
〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)によって、明知によって、
自己の矢を引き抜くがよい。ということで――(4)
○パーリ語原文
336.
パマードー ラジョー パマードー
Pamādo rajo pamādo,
放逸は 塵 放逸は
パマードーヌパティトー ラジョー
pamādānupatito rajo;
放逸によって起こる 塵
アッパマーデーナ ウィッジャーヤ
Appamādena vijjāya,
不放逸によって 明知によって
アッバヘー サッラマッタノーティ
abbahe sallamattanoti.
引き抜け 矢を・自分の
○一口メモ
ブッダは、昨日の偈で、出家修行者を「一瞬もむなしく過ごすな」と奮起させ、今回の偈で「放逸はごみだ。」と述べました。そして、放逸によってごみの山が出来るのだと述べます。
放逸とは、心にごみが出来ることに気づいていないことです。昨日も述べましたが、眼耳鼻舌身に外界からの刺激があると、心に欲、怒り、無知などの煩悩が現れるのです。この煩悩がごみなのです。私たちを苦しめるごみなのです。それに気づいていれば、すなわち不放逸であれば、このごみがたまるのを防げます。
気づいていれば、明智(智慧)も現れます。この気づきと智慧によって、煩悩をなくすことができるのです。それを「自分にささった矢を抜け」と述べているのです。
この矢については、五本の矢があると言われています。それは五本の矢は上で説明した眼耳鼻舌身に現れる五欲と考えてもよいですが、五蓋(貪欲、瞋恚、惛沈睡眠、掉挙悪作、疑)とも言われています。これらの矢(煩悩)を取り除くと、禅定に入り、解脱の道が切り開かれます。
「奮起経」はこの偈で終わります。この経が説かれてからの後日談では、ブッダに説法をされた500人の出家修行者たちは、この説法のみを思念し、ヴィパッサナー瞑想に励み、阿羅漢の境地に達したということです。
放逸は 気づかぬことで できたごみ 気づきによって 自己の矢を抜け<334>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎1月24日(金)から1月30日(木)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。
・・・
部屋を見れば心が分かる。
部屋を見て自分の心を知ろう。
汚れていないかどうか。
スッタニパータ334. 第2 小さな章 10.奮起経 4.
○中村元先生訳
334
怠りは塵垢である。
怠りによって塵垢がつもる。
つとめはげむことによって、また明知によって、
自分にささった矢を抜け。
○正田大観先生訳
337.(334)
怠ること(放逸)は、塵である。
怠ることは、〔気づきを〕怠ることから生み落とされた塵である。
〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)によって、明知によって、
自己の矢を引き抜くがよい。ということで――(4)
○パーリ語原文
336.
パマードー ラジョー パマードー
Pamādo rajo pamādo,
放逸は 塵 放逸は
パマードーヌパティトー ラジョー
pamādānupatito rajo;
放逸によって起こる 塵
アッパマーデーナ ウィッジャーヤ
Appamādena vijjāya,
不放逸によって 明知によって
アッバヘー サッラマッタノーティ
abbahe sallamattanoti.
引き抜け 矢を・自分の
○一口メモ
ブッダは、昨日の偈で、出家修行者を「一瞬もむなしく過ごすな」と奮起させ、今回の偈で「放逸はごみだ。」と述べました。そして、放逸によってごみの山が出来るのだと述べます。
放逸とは、心にごみが出来ることに気づいていないことです。昨日も述べましたが、眼耳鼻舌身に外界からの刺激があると、心に欲、怒り、無知などの煩悩が現れるのです。この煩悩がごみなのです。私たちを苦しめるごみなのです。それに気づいていれば、すなわち不放逸であれば、このごみがたまるのを防げます。
気づいていれば、明智(智慧)も現れます。この気づきと智慧によって、煩悩をなくすことができるのです。それを「自分にささった矢を抜け」と述べているのです。
この矢については、五本の矢があると言われています。それは五本の矢は上で説明した眼耳鼻舌身に現れる五欲と考えてもよいですが、五蓋(貪欲、瞋恚、惛沈睡眠、掉挙悪作、疑)とも言われています。これらの矢(煩悩)を取り除くと、禅定に入り、解脱の道が切り開かれます。
「奮起経」はこの偈で終わります。この経が説かれてからの後日談では、ブッダに説法をされた500人の出家修行者たちは、この説法のみを思念し、ヴィパッサナー瞑想に励み、阿羅漢の境地に達したということです。
放逸は 気づかぬことで できたごみ 気づきによって 自己の矢を抜け<334>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎1月24日(金)から1月30日(木)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。
◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。
"放逸は 気づかぬことで できたごみ 気づきによって 自己の矢を抜け<334>" へのコメントを書く