自説に 固執する者 他の者を 愚かと言えるか 己が愚か<893>
○少年少女のためのスッタニパータ<893>
・・・
自分は正しいと
思っているから
自分のおかしさに
気付くのは難しい。
第4 八つの詩句の章 12.小集積経 16.
○毎田周一先生訳
893.
自分の道をしっかり摑まえて論ずるものが
外の誰を『愚か者』だということができよう
外の説を愚かだ 汚れた教えだというのなら
外ならぬ彼自身が 不和を引き起す当人ではないか
○中村元先生訳
893
自分の道を堅くたもって論じているが、
ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。
他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、
かれはみずから確執をもたらすであろう。
○正田大観先生訳
900.(893)
あるいは、また、自らの道において、断固として〔自らの正しさを〕説いている者は、
ここにおいて、誰かしら、他者を、『愚者である』と決め付けるでしょう。
彼は、まさしく、自ら、〔他者とのあいだに〕確執をもたらすでしょう
――他者を、清浄ならざる法(見解)の愚者と説きつつ。(16)
○パーリ語原文
899.(893)
サカーヤネー ワーピ ダルハン ワダーノー
Sakāyane vāpi daḷhaṃ vadāno,
自分の道を しかもまた 断固と 論じているのに
カメッタ バーローティ パラン ダヘッヤ
kamettha bāloti paraṃ daheyya;
誰かをここで 愚か者と 他の 決めつけできるか
サヤメーワ ソー メーダガマーワヘッヤ
Sayameva so medhagamāvaheyya,
自分だけで 彼は 論争をもたらすであろう
パラン ワダン バーラマスッディダンマン
paraṃ vadaṃ bālamasuddhidhammaṃ.
他人を 言いつつ 愚かな不浄の法(見解)の者と
○一口メモ
大声で「静かにしろ」と怒鳴る人の行為をどのように思いますか? 愚かだと思いますね。この人の目的は静かな状態を作りたいのですが、自分でそれと反対の行為をしているのですから。人の行為は目的と方法を一致させた方がよいのです。
よく議論される問題ですが、平和運動は平和的でなければいけません。平和運動が戦いであったら、その時点で平和運動ではないですね。そこは大切な点です。平和運動は一瞬一瞬平和でなければいけません。しかし、このような考え方はなかなか受け入れられないようです。平和のために戦うということになっています。
今回の偈も、自分だけが清浄だと自説する人々が如何におかしなことになっているかについて述べられています。
自説に 固執する者 他の者を 愚かと言えるか 己が愚か<893>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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自分は正しいと
思っているから
自分のおかしさに
気付くのは難しい。
第4 八つの詩句の章 12.小集積経 16.
○毎田周一先生訳
893.
自分の道をしっかり摑まえて論ずるものが
外の誰を『愚か者』だということができよう
外の説を愚かだ 汚れた教えだというのなら
外ならぬ彼自身が 不和を引き起す当人ではないか
○中村元先生訳
893
自分の道を堅くたもって論じているが、
ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。
他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、
かれはみずから確執をもたらすであろう。
○正田大観先生訳
900.(893)
あるいは、また、自らの道において、断固として〔自らの正しさを〕説いている者は、
ここにおいて、誰かしら、他者を、『愚者である』と決め付けるでしょう。
彼は、まさしく、自ら、〔他者とのあいだに〕確執をもたらすでしょう
――他者を、清浄ならざる法(見解)の愚者と説きつつ。(16)
○パーリ語原文
899.(893)
サカーヤネー ワーピ ダルハン ワダーノー
Sakāyane vāpi daḷhaṃ vadāno,
自分の道を しかもまた 断固と 論じているのに
カメッタ バーローティ パラン ダヘッヤ
kamettha bāloti paraṃ daheyya;
誰かをここで 愚か者と 他の 決めつけできるか
サヤメーワ ソー メーダガマーワヘッヤ
Sayameva so medhagamāvaheyya,
自分だけで 彼は 論争をもたらすであろう
パラン ワダン バーラマスッディダンマン
paraṃ vadaṃ bālamasuddhidhammaṃ.
他人を 言いつつ 愚かな不浄の法(見解)の者と
○一口メモ
大声で「静かにしろ」と怒鳴る人の行為をどのように思いますか? 愚かだと思いますね。この人の目的は静かな状態を作りたいのですが、自分でそれと反対の行為をしているのですから。人の行為は目的と方法を一致させた方がよいのです。
よく議論される問題ですが、平和運動は平和的でなければいけません。平和運動が戦いであったら、その時点で平和運動ではないですね。そこは大切な点です。平和運動は一瞬一瞬平和でなければいけません。しかし、このような考え方はなかなか受け入れられないようです。平和のために戦うということになっています。
今回の偈も、自分だけが清浄だと自説する人々が如何におかしなことになっているかについて述べられています。
自説に 固執する者 他の者を 愚かと言えるか 己が愚か<893>
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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