目的を よくわきまえた 修行者は まず性格を 正すべきなり<再143>
○ワン爺さんの独り言<143>
・・・
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
第1 蛇の章 8.慈経 1.
○日本テーラワーダ仏教協会訳
143(1)
[解脱という] 目的をよくわきまえた人が、
静かな場所に行ってなすべきことは [以下の通りである。]
何事にもすぐれ、しっかりして、まっすぐでしなやかで、
人の言葉をよく聞き、柔和で、高慢でない人になるように。
○毎田周一先生訳
143.
如何に生るべきかを究めた人が
その安らぎの中で どのように生きるかーー
力強く 筋道がたって さゆるぎもせず
言葉やさしく 物やわらかで 人を軽蔑しない
○中村元先生訳
143
究極の理想に通じた人が、
この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。
能力あり、直く、正しく、
ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
○正田大観先生訳
143.
すなわち、〔まさに〕その寂静の境処を知悉して〔そののち〕、
〔実践の道という〕義(利益)に巧みな智ある〔出家者〕によって為されるべきは、
〔以下のとおりとなる〕。
有能で、かつまた、〔心が〕真っすぐで、さらには、実直で、
なおかつ、素直で、柔和で、高慢なき者として、〔世に〕存するように。(1)
○パーリ語原文
143.
カラニーヤ マッタクサレーナ
Karaṇīyam atthakusalena
なすべきことを 目的をわきまえた人によって
ヤン タン サンタン パダン アビサメッチャ
yan taṃ santaṃ padaṃ abhisamecca:
およそ その 静かな 場所で 理解して
サッコー ウジュー チャ スージュー チャ
sakko ujū ca sūjū ca
有能 率直 と 正直 と
スーワチョー チャッサ ムドゥ アナティマーニー
sūvaco c’assa mudu anatimānī.
言葉が優しい あれよ 柔軟 慢心がない
○一口メモ
初期仏教を学ぶ人に、重要で、好きなお経を3つ挙げて下さいと言えば、必ずその中に慈経が含まれると思います。八万四千あると言われているお経の中で、慈経それほど大切、重要で、親しまれているお経なのです。
しかし、その解釈は微妙に人によって異なります。それはブッダの智慧は覚った方にしか分からないということがありますから、その方の境地の違いによって、その解釈が異なるのは止む得ないことです。しかし、何とかブッダの意図を理解したいと思う気持ちは大切です。
では、慈経の始めの偈について、解説してみましょう。
一行目、「目的をわきまえた人によって、なすべきこと」とは、目的は何かは書いてありませんが、ブッダが述べる目的ですから「日本テーラワーダ仏教協会訳」にあるように「解脱という目的」です。毎田先生は「如何に生くるべきか」、中村先生は「究極の理想」、正田先生は「寂静の境処」としてあります。解脱という目的でよいでしょう。
二行目の解釈が、「日本テーラワーダ仏教協会訳」と「中村先生訳」が異なります。「日本テーラワーダ仏教協会訳」では、解脱という目的をわきまえた人がなすべきことが三行目、四行目になりますが、中村先生訳では「この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。」ということで、目的を達する前に行うべきことか、目的を達したあとに行うべきことの違いです。毎田先生訳ではそこは明確にしていません。正田先生は中村先生と同意見のようです。
三行目、四行目は、「有能、率直、正直、言葉やさしい、柔軟、慢心がない」という性格が述べられています。これらは解脱という目的をわきまえた人が目指す性格であり、解脱した方の性格であろうということは間違いないと思います。
これらの性格の意味を少し説明します。
有能:これはヴィパッサナー瞑想によって養成されます。頭の働きがクリヤーになり鋭くなるからです。
率直、正直:心が曲がってないこと。これがないと事実を事実として見ることができません。
言葉がやさしい:これは慈悲の心ある人は必ず、言葉使いがやさしいのです。(日本テーラワーダ仏教協会訳では「人の言葉をよく聞き」としていますが、このような性格がないと何事も学べません。更に、善友との関係はこの性格によって、成立します。)
柔軟:生命は柔軟なものです。生命と生命の関係は柔軟であるのです。
慢心がない:慢心があれば、上記のような性格は成り立ちません。
私は今、この経は解脱をめざす人がわきまえることを書いてあるという点が重要だと思っています。ブッダは解脱をめざす人に、慈悲を教え、慈悲を実践しなさいと教えているのです。そして、先回りをして言えば、この経の最後の偈で、このように実践する人は輪廻を繰り返さない。すなわち不還果者か阿羅漢になると教えているのです。つまり、慈悲を実践する人は解脱(心解脱か慧解脱)をすると教えているのです。それが慈経なのです。
そこで、皆さんに宿題ですが、「何故、慈悲を実践すれば解脱するのか?」この慈経を学ぶ中で考えてほしいと思います。
○前回のこの偈の解説
生き方を よくわきまえた 修行者は まず性格を 正すべきなり<143>
http://76263383.at.webry.info/201308/article_7.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
第1 蛇の章 8.慈経 1.
○日本テーラワーダ仏教協会訳
143(1)
[解脱という] 目的をよくわきまえた人が、
静かな場所に行ってなすべきことは [以下の通りである。]
何事にもすぐれ、しっかりして、まっすぐでしなやかで、
人の言葉をよく聞き、柔和で、高慢でない人になるように。
○毎田周一先生訳
143.
如何に生るべきかを究めた人が
その安らぎの中で どのように生きるかーー
力強く 筋道がたって さゆるぎもせず
言葉やさしく 物やわらかで 人を軽蔑しない
○中村元先生訳
143
究極の理想に通じた人が、
この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。
能力あり、直く、正しく、
ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
○正田大観先生訳
143.
すなわち、〔まさに〕その寂静の境処を知悉して〔そののち〕、
〔実践の道という〕義(利益)に巧みな智ある〔出家者〕によって為されるべきは、
〔以下のとおりとなる〕。
有能で、かつまた、〔心が〕真っすぐで、さらには、実直で、
なおかつ、素直で、柔和で、高慢なき者として、〔世に〕存するように。(1)
○パーリ語原文
143.
カラニーヤ マッタクサレーナ
Karaṇīyam atthakusalena
なすべきことを 目的をわきまえた人によって
ヤン タン サンタン パダン アビサメッチャ
yan taṃ santaṃ padaṃ abhisamecca:
およそ その 静かな 場所で 理解して
サッコー ウジュー チャ スージュー チャ
sakko ujū ca sūjū ca
有能 率直 と 正直 と
スーワチョー チャッサ ムドゥ アナティマーニー
sūvaco c’assa mudu anatimānī.
言葉が優しい あれよ 柔軟 慢心がない
○一口メモ
初期仏教を学ぶ人に、重要で、好きなお経を3つ挙げて下さいと言えば、必ずその中に慈経が含まれると思います。八万四千あると言われているお経の中で、慈経それほど大切、重要で、親しまれているお経なのです。
しかし、その解釈は微妙に人によって異なります。それはブッダの智慧は覚った方にしか分からないということがありますから、その方の境地の違いによって、その解釈が異なるのは止む得ないことです。しかし、何とかブッダの意図を理解したいと思う気持ちは大切です。
では、慈経の始めの偈について、解説してみましょう。
一行目、「目的をわきまえた人によって、なすべきこと」とは、目的は何かは書いてありませんが、ブッダが述べる目的ですから「日本テーラワーダ仏教協会訳」にあるように「解脱という目的」です。毎田先生は「如何に生くるべきか」、中村先生は「究極の理想」、正田先生は「寂静の境処」としてあります。解脱という目的でよいでしょう。
二行目の解釈が、「日本テーラワーダ仏教協会訳」と「中村先生訳」が異なります。「日本テーラワーダ仏教協会訳」では、解脱という目的をわきまえた人がなすべきことが三行目、四行目になりますが、中村先生訳では「この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。」ということで、目的を達する前に行うべきことか、目的を達したあとに行うべきことの違いです。毎田先生訳ではそこは明確にしていません。正田先生は中村先生と同意見のようです。
三行目、四行目は、「有能、率直、正直、言葉やさしい、柔軟、慢心がない」という性格が述べられています。これらは解脱という目的をわきまえた人が目指す性格であり、解脱した方の性格であろうということは間違いないと思います。
これらの性格の意味を少し説明します。
有能:これはヴィパッサナー瞑想によって養成されます。頭の働きがクリヤーになり鋭くなるからです。
率直、正直:心が曲がってないこと。これがないと事実を事実として見ることができません。
言葉がやさしい:これは慈悲の心ある人は必ず、言葉使いがやさしいのです。(日本テーラワーダ仏教協会訳では「人の言葉をよく聞き」としていますが、このような性格がないと何事も学べません。更に、善友との関係はこの性格によって、成立します。)
柔軟:生命は柔軟なものです。生命と生命の関係は柔軟であるのです。
慢心がない:慢心があれば、上記のような性格は成り立ちません。
私は今、この経は解脱をめざす人がわきまえることを書いてあるという点が重要だと思っています。ブッダは解脱をめざす人に、慈悲を教え、慈悲を実践しなさいと教えているのです。そして、先回りをして言えば、この経の最後の偈で、このように実践する人は輪廻を繰り返さない。すなわち不還果者か阿羅漢になると教えているのです。つまり、慈悲を実践する人は解脱(心解脱か慧解脱)をすると教えているのです。それが慈経なのです。
そこで、皆さんに宿題ですが、「何故、慈悲を実践すれば解脱するのか?」この慈経を学ぶ中で考えてほしいと思います。
○前回のこの偈の解説
生き方を よくわきまえた 修行者は まず性格を 正すべきなり<143>
http://76263383.at.webry.info/201308/article_7.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。
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