怠けても 預流果の人は 七までに 輪廻は終わる 幸せであれ<再230>
○ワン爺さんの独り言<230>
・・・
預流果に悟っても
いろいろやりたいことがある方は
何度か生まれ変わるけど、
七回以上は生まれ変わらない。
第2 小さな章 1.宝経 9.
○日本テーラワーダ協会訳
9.
深い智慧により正しく説かれたる[四]聖諦を実践するする者たちは、
たとい(後で)大いに放逸になろうとも、
八回目の[転]生を引き寄せること有らず。
此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。
此の真実により、幸いあらんことを。
○中村元先生訳
230
深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、
たとい大いになおざりに陥ることがあっても、第八の生存を受けることはない。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。
○正田大観先生訳
232.(230)
彼ら、深遠なる知慧ある方(ブッダ)によって見事に説示された、
〔四つの〕聖なる真理を分明する者たち――
たとえ、何であれ、彼らが、多く怠る者たちと成るとして、
彼らは、第八の生存(有)を取らない(最高で七回までの輪廻のうちに解脱する)。
これもまた、僧団における、妙なる宝である。
この真理によって、安穏有れ。(9)
○パーリ語原文
230.
イェー アリヤサッチャーニ ウィバーワヤンティ
Ye ariyasaccāni vibhāvayanti
者たちは (四)聖諦を 明らかにする
ガンビーラパンニェーナ スデースィターニ
gambhīrapaññena sudesitāni,
深い智慧にある人によって よく説き示された
キンチャーピ テー ホンティ ブサパマッター
kiñcāpi te honti bhusappamattā,
たとえ 彼らは 成っても 大いに放逸に
ナ テー バワン アッタマ マーディヤンティ
na te bhavaṃ aṭṭhamam ādiyanti,――
ない 彼らは 生存を 八番目の 取ることは
イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン
idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ,
これ も サンガにおける 宝が 勝れた
エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ
etena saccena suvatthi hotu.
この 真実で 幸せで あれ
○一口メモ
今回も預流果の聖者の境地が語られています。預流果の人々には三種類います。第一種の人は、その人のただ一つの人生だけで、一来果、不還果、阿羅漢になる人です。第二種の人は二回か三回生まれ変わり、そして涅槃に到る人です。第三種の人は七度神(天)と人間に生まれ変わりを繰り返し、最後に苦の終息に到る、すなわち涅槃に到る人です。第三種の人は極七返生者とも言います。しかし、何れにせよ、最後は涅槃に到るのです。預流果、すなわち涅槃への流れに乗った人というのです。
それは何故か。深淵な智慧で語られた四聖諦は理解するのは難しいのですが、預流果の人はそれを実践し、それが真理あることを明らかにしたからなのです。それが明らかになれば、四聖諦が確信になっているのです。揺るがない、不動の確信になっていますから、この偈に述べられているように、たとえ途中でどんなに怠けることがあっても、七回も人生を繰り返すことがあっても、最後はすべての煩悩を捨て、心を清らかにして涅槃に到るのです。
ここで、最後は阿羅漢になると書かなかったのは、最後の生では梵天になって、そのまま涅槃に到る場合もあると思うからです。そうすると阿羅漢にはならないで、不還果から梵天、そして涅槃かなと思います。スマナサーラ長老に後で確かめてみましたら、その通りだということでした。
預流果の人になったら、普通は終わることのない輪廻の苦しみを終わらせることが出来るのです。ですから、預流果になれば安心です。ですから、私たちは預流果の人になるように、修行を励むべきだと思います。もちろん、仏陀は人々に預流果で安心してはいけないと言われていることをも忘れてはいけないとは思います。
○前回のこの偈の解説
怠けても 預流果の人は 七までに 輪廻は終わる 幸せであれ<230>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_8.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
○アラナ精舎雨安居日記
2016.8.7.(日) 第19日目
今日は大阪の自主冥想会、関西パーリ語研修会、パーリ語セミナーがアラナ精舎で行われた。そしてパーリ語セミナーに参加予定の方と宿泊された方及び木岡さんがクサラダンマ長老と私のために食事のお布施をしてくれた。そのうちの一人は私のブログの読者で、以前メールでやり取りをした方だった。長いことブログを続けているといろいろな縁のできるので悪いことではないなと思った。
午後はパーリ語セミナーにオブザーバーとして参加させて頂いた。このセミナーの先生はこのブログの偈の訳を掲載させて頂いている正田先生だ。今日のテーマは「スッタニパータ第5章4.メッタグー学徒の問い」だった。活発な議論があり、大変面白かった。東京のパーリ語輪読会には大阪に来たので参加できなくなったが、今後は大阪のパーリ語セミナーに参加させて頂こうと思っている。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。
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預流果に悟っても
いろいろやりたいことがある方は
何度か生まれ変わるけど、
七回以上は生まれ変わらない。
第2 小さな章 1.宝経 9.
○日本テーラワーダ協会訳
9.
深い智慧により正しく説かれたる[四]聖諦を実践するする者たちは、
たとい(後で)大いに放逸になろうとも、
八回目の[転]生を引き寄せること有らず。
此は僧(サンガ)が勝宝たる由縁なり。
此の真実により、幸いあらんことを。
○中村元先生訳
230
深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、
たとい大いになおざりに陥ることがあっても、第八の生存を受けることはない。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。
この真理によって幸せであれ。
○正田大観先生訳
232.(230)
彼ら、深遠なる知慧ある方(ブッダ)によって見事に説示された、
〔四つの〕聖なる真理を分明する者たち――
たとえ、何であれ、彼らが、多く怠る者たちと成るとして、
彼らは、第八の生存(有)を取らない(最高で七回までの輪廻のうちに解脱する)。
これもまた、僧団における、妙なる宝である。
この真理によって、安穏有れ。(9)
○パーリ語原文
230.
イェー アリヤサッチャーニ ウィバーワヤンティ
Ye ariyasaccāni vibhāvayanti
者たちは (四)聖諦を 明らかにする
ガンビーラパンニェーナ スデースィターニ
gambhīrapaññena sudesitāni,
深い智慧にある人によって よく説き示された
キンチャーピ テー ホンティ ブサパマッター
kiñcāpi te honti bhusappamattā,
たとえ 彼らは 成っても 大いに放逸に
ナ テー バワン アッタマ マーディヤンティ
na te bhavaṃ aṭṭhamam ādiyanti,――
ない 彼らは 生存を 八番目の 取ることは
イダン ピ サンゲー ラタナン パニータン
idam pi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ,
これ も サンガにおける 宝が 勝れた
エーテーナ サッチェーナ スワッティ ホートゥ
etena saccena suvatthi hotu.
この 真実で 幸せで あれ
○一口メモ
今回も預流果の聖者の境地が語られています。預流果の人々には三種類います。第一種の人は、その人のただ一つの人生だけで、一来果、不還果、阿羅漢になる人です。第二種の人は二回か三回生まれ変わり、そして涅槃に到る人です。第三種の人は七度神(天)と人間に生まれ変わりを繰り返し、最後に苦の終息に到る、すなわち涅槃に到る人です。第三種の人は極七返生者とも言います。しかし、何れにせよ、最後は涅槃に到るのです。預流果、すなわち涅槃への流れに乗った人というのです。
それは何故か。深淵な智慧で語られた四聖諦は理解するのは難しいのですが、預流果の人はそれを実践し、それが真理あることを明らかにしたからなのです。それが明らかになれば、四聖諦が確信になっているのです。揺るがない、不動の確信になっていますから、この偈に述べられているように、たとえ途中でどんなに怠けることがあっても、七回も人生を繰り返すことがあっても、最後はすべての煩悩を捨て、心を清らかにして涅槃に到るのです。
ここで、最後は阿羅漢になると書かなかったのは、最後の生では梵天になって、そのまま涅槃に到る場合もあると思うからです。そうすると阿羅漢にはならないで、不還果から梵天、そして涅槃かなと思います。スマナサーラ長老に後で確かめてみましたら、その通りだということでした。
預流果の人になったら、普通は終わることのない輪廻の苦しみを終わらせることが出来るのです。ですから、預流果になれば安心です。ですから、私たちは預流果の人になるように、修行を励むべきだと思います。もちろん、仏陀は人々に預流果で安心してはいけないと言われていることをも忘れてはいけないとは思います。
○前回のこの偈の解説
怠けても 預流果の人は 七までに 輪廻は終わる 幸せであれ<230>
http://76263383.at.webry.info/201310/article_8.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
○アラナ精舎雨安居日記
2016.8.7.(日) 第19日目
今日は大阪の自主冥想会、関西パーリ語研修会、パーリ語セミナーがアラナ精舎で行われた。そしてパーリ語セミナーに参加予定の方と宿泊された方及び木岡さんがクサラダンマ長老と私のために食事のお布施をしてくれた。そのうちの一人は私のブログの読者で、以前メールでやり取りをした方だった。長いことブログを続けているといろいろな縁のできるので悪いことではないなと思った。
午後はパーリ語セミナーにオブザーバーとして参加させて頂いた。このセミナーの先生はこのブログの偈の訳を掲載させて頂いている正田先生だ。今日のテーマは「スッタニパータ第5章4.メッタグー学徒の問い」だった。活発な議論があり、大変面白かった。東京のパーリ語輪読会には大阪に来たので参加できなくなったが、今後は大阪のパーリ語セミナーに参加させて頂こうと思っている。
~~~~~~お知らせ~~~~~~
◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。
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