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得たものは少なかろうと満足し清らかな比丘賞賛される

ダンマパダ 365、366 自分の得たものを軽んじないように 他人の得たものを羨まないように 他人が得たものを羨む比丘は 禅定に達しない たとえ得たものは少なくとも 自分が得たものを軽んじない比丘 怠ることなく清く生きる彼を 神々は賞賛する ○この詩から学ぶこと  「自分の得たものを軽んじないように」…
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法悦と法楽を知り法を思惟し法を随観する比丘は善し

ダンマパダ 364 法を喜び、法を楽しみ 法を思惟し 法を随観する比丘は 正法から逸脱しない ○この詩から学ぶこと  この詩が出来た由来の物語があります。釈尊の寿命が終わりに近づいた時、釈尊は「比丘たちよ、私は四ヶ月後に、完全涅槃に入るであろう。それまでに疑問があれば何なりと聞くがよい。」と告げられました。すべて…
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落ち着いて経典の意味説く比丘の語る言葉は甘味なりけり

ダンマパダ 363 口を制御し、経典を語り 落ち着いている比丘が 意味と教えを明らかにする その語られる言葉は甘味です ○この詩から学ぶこと  昨日、東京八王子市の正山寺でカティナ衣式の法要の二日目が行われました。スマナサーラ長老はその説法の中で、次のことを仰られました。「言葉は不完全です。言葉は事実をありのまま…
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手と足と言葉の制御を喜んで 独居に満足する彼は比丘

ダンマパダ 362 手を制御し、足を制御し 言葉を制御し、最高に制御する 内心に喜び、心を統一して 独居を満足する彼を比丘と言う ○この詩から学ぶこと  昨日、比丘の形式的な定義について、仏法僧に帰依して出家が守るべき戒を受けた男子と述べましたが、この詩では比丘は何をするのか述べています。  比丘の身体によ…
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一切のところで制御する比丘は 一切の苦から解放される 

ダンマパダ 360,361 眼において制御することは善いことです 耳において制御することは善いことです 鼻において制御することは善いことです 舌において制御することは善いことです 身において制御することは善いことです 語において制御することは善いことです 意において制御することは善いことです 一切処において制御す…
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田の草のような貪欲のない人に 施しすれば果報は大きい

ダンマパダ 356~359 田畑に雑草があるように 人々には貪欲という欠点がある それ故に貪欲のない人に布施すれば 大きな果報がある 田畑に雑草があるように 人々には怒りという欠点がある それ故に怒りのない人に布施すれば 大きな果報がある 田畑に雑草があるように 人々には愚鈍という欠点がある それ故…
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財産は愚かな者を殺すなり 無執着の人は殺せない 

ダンマパダ 355 財産は愚か者を殺す 涅槃を求める人は殺さない 財産への渇愛によって愚か者は 他人のように自分を殺す ○この詩から学ぶこと  最近、2500年前に釈尊が指摘した通りの事件が起きました。宝くじで2億円当たった女性が、それを知った男に殺されたのです。これは2億円が彼女を殺したと言っていいのだと思…
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法施法味法楽最高 渇愛の滅尽こそはすべてに勝る

ダンマパダ 354 すべての布施に法施は勝つ すべての味に法味は勝つ すべての楽に法楽は勝つ 渇愛の滅尽はすべての苦に勝つ ○この詩から学ぶこと  今回の詩はパーリ語からの直訳です。語順も同じです。内容は単純ではありませんが、文章が単純だからこのようにできたのです。法施と法味と法楽の意味が分かれば、この詩の意味は…
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勝利してすべて知る者捨てた者自ら悟り師匠はいない

ダンマパダ 353 私はすべてに勝利した者あり、すべてを知る者あり すべての事柄に執着しない者あり すべてを捨てた者あり、渇愛の滅尽で解脱した者である 自ら悟ったので、だれを師と言えるだろうか ○この詩から学ぶこと  この詩の言葉は釈尊が次のような状況の下で仰られたものであります。釈尊がブッダガヤの菩提樹の下…
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恐怖なく穢れない人 生存の欲を捨て去り最後の身体

ダンマパダ 351、352 悟りの境地に達して恐怖がなく 渇愛から離れて穢れのない人は 生存の矢を断ち切った その身体は最後のものである 渇愛を離れ執着がなく 経典の語義を熟知して 文字の配列や 前後関係知る人 彼は最終身体の人 大智慧者、偉大な人と呼ばれる ○この詩から学ぶこと  恐怖のない…
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肉体は清浄であると見る人は渇愛増えて執着強まる

ダンマパダ 349,350 思考が混乱して激しい貪欲で (肉体を)清浄と見る人は さらに多くの渇愛が増え たしかにこの執着が強まる しかし思考が静まることを楽しみ (肉体を)不浄であると常に気付いている人は この悪魔の拘束を断ち切って たしかにこれを終結させるであろう ○この詩から学ぶこと  「こ…
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前をすて後を捨てて中間を捨てた衆生の心は自由

ダンマパダ 348 前を捨てよ、後を捨てよ 中間を捨てよ、彼岸に至った衆生は あらゆることに心は解放されて 再び老死に近づかない ○この詩から学ぶこと  外国語を日本に訳すとい作業にはいろいろ難しい問題があります。特に詩の場合はその問題点は増えます。ダンマパダの詩は、釈尊あるいは他の阿羅漢が説法の中で生まれたもの…
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貪欲に染まった人は蜘蛛の巣にからまるが賢者断ちて進む

ダンマパダ 347 貪欲に染まった人たちは流れに落ちる 蜘蛛のように自分の作った巣に 賢者たちはこれさえも断ち切って 執着しないで、一切の苦を捨てて進む ○この詩から学ぶこと  この詩も省略があり、仏教でよく使う比喩の意味を知らないと分かりにくいところがあります。少し補足して説明しましょう。詩をそのように説明する…
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財産や子や妻への執着捨てて賢者遊行する

ダンマパダ 345,346 鉄製、木製、麻製のものを 強固な拘束と賢者は言わない 宝石や耳飾への執着と 子供や妻への愛情は 引力のある、ゆるやかだが 強固な拘束だと賢者は言う これさえも断ち切って賢者は遊行する 執着することなく、愛欲と快楽を捨てて ○この詩から学ぶこと  「鉄製の手錠や鎖、木…
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欲のない人となりながら還俗し束縛されて悩み苦しむ 

ダンマパダ 344 無欲の人になりながら欲に向かう 欲の林からぬけながら欲の林に走るこむ 解放されて、また束縛される 来て、その人を見なさい ○この詩から学ぶこと  この詩については初めに、この詩の出来た因縁物語を紹介しましょう。  「マハーカッサパ長老の弟子にある比丘がいました。その比丘は修行して第四禅定…
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渇愛に捕まった人は震えてる わなにかかった兎のように

ダンマパダ 342、343 渇愛に捕まった人々は わなかかった兎のように震えてる 欲望の対象に執着する衆生は なんどもなんども苦に到る 渇愛に捕まった人々は わなにかかった兎のように震えてる それゆえ、渇愛を除去しなさい 自分の離貪を望む人は ○この詩から学ぶこと  毎朝、わたしの部屋の窓辺にスズメが…
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渇愛は三十六の流れなり欲に基ずく見解運ぶ(339)

ダンマパダ 339、340、341 快に向って流れる 三十六の激しい渇愛があるならば その貪欲に基づく思考は 悪い見解を運んでくる 渇愛の流れはどこにでも流れ 葛のような渇愛は根を伸ばし芽を出す その繁茂する葛を見て その根を智慧によって切り取れ 人の喜悦は 渇愛の流れと愛着にある 彼らは快に依存し楽を…
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渇愛の根の根絶がない限りこの苦しみはまた現われる

ダンマパダ 338 根が害がなく強固ならば 幹が切られても再び成長するように 渇愛の潜在力が根絶されない限り この苦しみは何度も現われる ○この詩から学ぶこと  草を取るときは根から引き抜かなければ、またすぐに草は生えてきます。他の喩えで言えば、堤防に蟻の穴ほどの小さな穴があれば、堤防は崩れてしまうのです。渇愛は…
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